江戸時代の賄賂秘史


  • 初版:1989年12月日


感想(2011/06/14)
構成が古い感じだったがそれもそのはず、元は昭和10年に東洋経済新報社から出版されたものの現代語訳だそうです。
引用文もちょっと手ごわい感じで、腰を据えなければやられちゃいますが内容は興味を引くものです。

読んでいると、日本人のアイデンティティーが崩壊しそうになって嫌な気分になりますが、逆に記事になるということが賄賂が一般状態で無かったという証拠になるのでしょう。
しかし、寛政の改革で田沼政治を否定した松平定信も、田沼時代には席次を進めるために賄賂を贈ったことを将軍への意見書の中で書いている。

日本ではスピード違反をしたときに免許を提示するときに100ドル札(日本なら1万円札か)を一緒に出して見逃してもらうということは到底期待できそうに無い。
だが同じ警察が、許認可権を持っている分野では、例えば運転免許では交通安全教会や自動車学校、パチンコでは保安電子通信技術協会や関連団体や企業への天下りや役員の受け入れ(天下りは賄賂の後払いとみなすことが出来る。)に抵抗することが出来ない。

組織の理論というのは強力で、例えば北海道警の裏金問題で不正経理が発覚したにもかかわらず道警本部長が調べもせず事実は無いと否定し、道知事はそれを支持するという異常事態が起こりました。
その後内部告発者が何人か出てきて、自殺者も出るという事態にまで進んだというのに徹底解明はなされず政治の世界でも解明する委員会を設置することが出来ませんでした。

組織内部の正義は法律よりも重要で、組織内部の人間が反乱する事は許されない。
これが組織の論理の表面的な一形態で、法の番人たる警察ですらそれから逃れることが出来ないのなら、それより倫理の低い部署が組織の論理から逃れられないのは必然なんでしょう。

東日本震災による福島原発炉心溶融であらわになった原発利権など、日本経済の行き詰まりとともに利権構造が日本の未来の大きな荷物になっています。
日本人は個人では潔癖になれても、組織の中での構造的な利権や役得から逃れるのは非常に困難です。

昔私が勤めていたところで、一部門が全社の中でかなりの利益を出していたのですが、特にその部門の人の給料が高いわけでなく、その部門の人たちが不満を爆発させて集団で退職したことがありました。
特別仕事が大変というわけではなく、ただたまたま利益の出る部門に配属されただけに過ぎないのに、自分たちが会社を支えていると誤解してしまったのでしょう。

集団退職があったときは大混乱になりましたが、人員の配置転換ですぐその月から平常運転に戻りました。
利権や役得を得ることの出来る人たちは、自分の力でそれを得ることが出来るのだと誤解しがちでしょうが、実際はただその立場にたまたま立っているという状態にすぎないのです。

構造的な利権や役得を解消するのは、これからの日本の課題だと思います。
そのためには利権や役得が発生する前にそれを回収することが重要です。

利益が出たら国民に還元したり国庫に還付するべきです。
それをするだけでこれからの日本の課題の大半が片付くと思うのは賄賂をもらえない私の僻みなのでしょう。

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最終更新:2011年06月14日 23:43