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ゲーセンで出会った不思議な子の話について

 Tumblrで『「ゲーセンで不思議な子に出会う話」は物語というよりむしろ>>1のセルフカウンセリング - Togetter(http://togetter.com/li/244071)』の一部を見て、目を通しておこうかなー、程度だったけれど、ちょいとこれは感想という形で感じたことを残しておかねば、と思ったので。ちなみに哲学ニュースはRSSで登録してるけど、このエントリはすっ飛ばしてた。
 順番としては、哲学ニュースの記事を見て→感想書きつつ→Togetterでの感想を見て→感想を書き終える、という感じ。


 まず、話の内容にはあまり触れないようにする。なぜなら、フィクション(創作)かノンフィクション(非創作)かがハッキリわからないから。>>1が、経験してないことを創りだしたならフィクションとして批判はできるけど、事実でノンフィクションだったら死んだ人を冒涜することになりかねないから。
 一応、体裁上はノンフィクションであることを前提として感想します。

 正直なところ、メチャクチャ気持ち悪かった。話の内容が、ではなくて、この話をする>>1のキャラクターが。あと相づちを打つ聴衆が。
 ちょっと考えれば、病床に伏す女の子を「可愛い」だとか「泣ける」と評するのは、あまりに傍観で、あまりにも自己中心的じゃないか、と気づけるはず。自分の家族が死に瀕して、「泣ける」なんて言うヤツはいないし、「イイ話だね」なんて他人に勝手に言われようもんなら俺だったら激怒する。てめえらに憐れんでもらったりイイ逸話だと思ってもらうために死んだんじゃねえ、ふざけんな、って。
 その考えが、聴衆にはない。それどころか、>>1にもない。つまり>>1は、彼女との思い出を、聴衆に憐れんでもらったり、悲しがってもらうために、”なげうった”ってことだ。文章を読んでみるに、>>1と彼女はある程度は通じ合っていたみたいだけど、その感じを聴衆に理解してもらえると思ったんだろうか? 目の前でお互い肉のある人間として接した自分以上に、聴衆が彼女のことを理解することができると思ったんだろうか? じゃないと、「てめえらに彼女のなにがわかる」ってなんじゃねえの?

 最近アニメというものを、一面的にではあるが理解して、唾棄したくなった。アニメというのは、キャラをつくるものであって、そのキャラは下卑た野郎たちのオナニーに使われるために存在する、という一面。ここでのオナニーは、比喩ではなく、手淫という行為そのもの。萌えアニメというのが続々と発表されて盛り上がって、そのキャラがなにに使われているのか、キャラ名をググってみればおのずとわかる。つまりアニメを制作している人たちは、オナニーキャラ生産機械ともいえる。だから唾棄したくなった。
 それと同じように、この話では、>>1は彼女というキャラを、慰み者として聴衆に提示したってことになるわけだ。実際にオナニーに使用されるのは少ないとしても、この場合は比喩でのオナニー、いわゆる泣きゲーに出てくる悲惨な過去を背負い悲惨な未来を辿る運命にあり、哀れまれ悲しがられるためだけに存在するキャラクターと同様に、聴衆に感傷を抱かせるために提示したわけだ。
 小説家なんかはときに「思い出を売る商売」と言われたりする。すべてを創作に頼ることは難しく、大なり小なり自身の経験を混ぜ込むことになるからで、作家家業を続けていれば思い出が尽きることもあるかもしれない。

 他にも、>>1が文中で父親に彼女の病気のことなどを吐露したように、こうして不確定多数の人間が閲覧する2chで公開することで、”重荷を少しでも軽くしたい”という意図があったのかもしれない。それは逆にいえば、”彼女のことを忘れたい”と思っていることの裏返しでもある。絶対に誰にも公言しない、すべての重荷を背負ってやる、という気負いがなく、浅薄に映る。

 あと、彼女(吹石)の顔をなにげなく想像したとき、千石撫子の絵が真っ先に浮かんだ。まあ帽子しか特徴書かれてないからね。

 まとめブログだから好意的なレスのみを選別して掲載するのはもうしかたないけど、さすがに反吐が出る。2chでさ、誰もが釣りを疑わないなんてことがありますかッ!? 嘘だと信じたいから、みたいな「釣りだよな?」みたいなのはあるけど(それにも反吐が出るが)、「どうせ釣りだろ」という冷めたレスがない。つまりもう読み物として、「好意的」にすることが前提でまとめられてある。それはつまり、偏向だということ。だから2chから発された文章としては不自然で失格だし、まとめブログの限界を示していることでもある。本来なら2chのログを読むのが筋なんだけどね。読みやすさを手にして、反面、ありのままであることを捨てて、偏向という今一番嫌われてるものをもおのずと手にしたわけだ。

 そもそも>>1がスレを建てるときに「ゲーセンで出会った不思議な子の話(http://logsoku.com/thread/toro.2ch.net/news4viptasu/1326566620/)」と銘打ったわけだろ? それって「その方が閲覧者が増えるから」なんじゃないだろうか。だから独白という形式をとっただけの創作に映る。彼女は不思議な子だったのか? 理解の及ばない”不思議な子”だったのか? もしそうだったら、>>1と彼女はなんら通じてない、ただの幻想だったということだ。それとも「他人(読者)から見て不思議な子であるほうがわかりやすい」という冷静で合理的かつ客観的な判断を踏まえてのことだったのだろうか。いずれにせよ嘆息せざるをえない。


 『「ゲーセンで不思議な子に出会う話」は物語というよりむしろ>>1のセルフカウンセリング - Togetter(http://togetter.com/li/244071)』では、嘲笑するという形で批判してはいるが、俺はこの手の攻撃は好きじゃない。それは幽霊という事象に対して、「信じる派」「信じない派」に分かれたときの「信じない派」の「おめえらなに信じてんのバッカじゃねえw」というものに似て、「信じる派」の頑とした態度には通用しない。むしろその異様な嘲笑の具合から、敬遠されるだけになりかねない。だから俺は「>>1が2chで独白する」という構造自体に疑問を呈した。



 ここまで書いてみたものの、相手を批判するだけでは公平ではない気もするので、俺自身が創作した似たような話があるので挙げておく(「幻を想う)。別に誰が死んだりとかってことはないけど、俺自身が勝手に似てると思ったものだから。あとステマにもなってるから、「ふざけんなよてめえステマじゃねえかよ」と思う人は読まないで結構です。



  • 小説と云うものは、本来、女子供の読むもので、いわゆる利口な大人が目の色を変えて読み、しかもその読後感を卓を叩いて論じ合うと云うような性質のものではないのであります。小説を読んで、襟(えり)を正しただの、頭を下げただのと云っている人は、それが冗談ならばまた面白い話柄でもありましょうが、事実そのような振舞いを致したならば、それは狂人の仕草と申さなければなりますまい。太宰治 -- (ましてチラ裏スレで…) 2012-01-21 11:09:51
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