第7章.外交
 外務省は、カリフ国家と外国との関係にかかわる事項を、いかなる関係、いかなる事項であろうとも全て管掌する。それには政治の領域と、その一部である協定、和議、休戦、外交交渉、大使の交換、使節や代表の派遣、大使館や領事館の建設、あるいは経済、農業、商業、郵便、電話、無線通信などの諸分野も含まれる。これらの事項は全て(カリフ)国家と外国の関係に関わるので、外務省が管掌するのである。
 執行大臣についての研究の中で既に論じた通り、かつては使徒は、国家やそれ以外の集団との外交関係を自ら司られていた。彼はクライシュ族との交渉のためにウスマーン・ブン・アッファーンを遣わされたが、彼自身がクライシュ族の使節を交渉されることもあった。また彼は諸国の王たちに使節を使わされると同時に、自ら王侯の使節を接見され、また協定や和議を自ら締結された。
 同様に使徒の跡を継いだ正統カリフたちも彼ら自身で諸国や諸集団らの他国人らとの外交を執り行った。また彼らはそれらの任務において自分たちの代行者を任命することもあった。それは、自分自身ができることは他者をその代理に指名することも、その代行を任せることも許されているからである。
 国際政治の複雑化と外交関係の拡大と多様化に鑑みて、我々はカリフが外交に特化した国家機関に代行を委ねることを選ぶ。カリフは、国家の他の統治と行政の諸機関と同じように、それ(外務省)を自分自身で、あるいは執行大臣を介して、聖法の該当する諸規定に則って、統括するのである。

第8章.工業
 工業省は重工業であれ、軽工業であれ、工業に関わる万事を管掌する。重工業には発動機関、機械工業や建設業、材料生産業、電子工業などが含まれる。また工場の中でも公有財産である工場や私有財産であっても軍需産業と関わる工場も同様に含まれる。様々な工場は、軍事政策に基づいて建設されなくてはならない。なぜならばジハード、戦闘は軍を必要とするが、軍が戦うためには武器が要り、軍が最高水準の武器を十分に揃えるには国内産業、特にジハードと深い関係がある軍需産業が必要だからである。
 国家が他国の影響を受けることなく独自の政策運営ができるためには、自国内で武器の製造、改良が可能である必要があり、それによって初めて自分自身の主人となり、どんなに武器が進歩し改良されても、最新最強の武器を保有し、必要とするあらゆる武器を使用することができるようになるのである。そしてそれは至高者が「彼らに対してお前たちのできる限りの武力と軍馬を備え、アッラーの敵と汝らの敵、そしてお前たちは知らないがアッラーがご存知のそれ以外の他の者たちを恐れさせよ」(8章60節)と言われているように、顕在的な敵と潜在的な敵とを共に恐れさせるためなのである。それによって国家は自らの意思を有することができ、必要な武器を製造し、改良し、最高最強の武器の所有が可能なまでに改良を継続させることができ、現実に顕在的な敵と潜在的な敵とを共に恐れさせることができるようになるのである。それゆえ国家は自国内で武器を製造しなくてはならず、他国からの購入に依存することは許されないのである。なぜならそれはその(武器を買い付けている)外国に、カリフ国家と、その国家意思、軍備、戦争、戦闘を支配させることになるからである。
 今日の世界において、武器輸出国が全ての武器を輸出しているわけではないこと、特に最新の武器はそうでないこと、使用法の特定を含む付帯条件なしには売却しないこと、また購入を希望する国の需要によるのではなく売却する国が考える特定の数しか売却しないことは、誰もが見て知っていることである。それは武器輸出国に武器輸入国への支配力と影響力を与え、自国の意思を押し付けることを可能にさせるのである。特に武器輸出国が戦争をしている場合はそうである。なぜならその場合、ますます多くの武器、代替部品、弾薬を必要とするようになり、武器輸出国に自己と、その意思、戦争、体制を質入することになるのである。
 それゆえ国家は自前で武器と戦争に必要な道具、代替部品を製造しなくてはならない。そしてそのためには国家は重工業を興し、軍事物資であれそれ以外であれ重工業品を製造する工場を造らねばならない。また様々な核兵器、宇宙船の製造、ロケット、人工衛星、飛行機、戦車、大砲、戦艦、装甲車、様々な重火器、軽火器の製造が可能な工場、工具、発動機、資材、電子工業の工場も持たねばならない。また公有財と関わる工場、軍需産業と関わる軽工業の工場も必要である。
至高者は言われる。「彼らに対してお前たちのできる限りの武力を備えよ・・・」(8章60節)これらは全てムスリムに課された軍備の義務の要請なのである。
 イスラーム国家は、伝道とジハードによるイスラームの宣教を実施する国家である以上、ジハードの遂行に常に備えのある国家でなくてはならない。そのためには、戦時政策に基づく重工業、軽工業が国内に存在し、様々な軍需産業への転用が必要となった時には、いつでも望む時点で簡単に転用できなくてはならないのである。それゆえカリフ国家においては、重工業であれ、軽工業であれ、工業は全て戦時政策に立脚して建造されなくてはならない。こうした政策がありさえすれば、国家が必要とする時に何時でもそれを軍需産業に容易に転用することができるのである。

第9章.司法
 司法とは強制を伴う判断の宣告である。それは人々の間の訴件の裁定、あるいは共同体の権利を害するものの阻止、あるいは人々と、統治者であれ、公務員であれ、カリフであれ、その配下の者であれ統治機構に属する者との間の紛争の解決である。
司法とその正当性の典拠は、クルアーンとスンナである。
 クルアーンについては、至高者の御言葉「彼らの間をアッラーが啓示されたもので裁け」(5:49)、「アッラーとその使徒が呼ばれたなら、彼らの間を裁け」(24:48)であり、スンナについては、使徒は自ら裁判を執り行い、人々の間を裁かれたのである。
 またアッラーの使徒は裁判官を任命もされた。アリーをイエメンの裁判官に任命し、裁判の方法について示し、「2人の訴人がお前に裁きを求めて来れば、他方の言い分を聞く前に、最初の者に有利な判決を下してはならない。そうすればいかに裁くべきか分かるだろう。」と言って戒められた。 また使徒はムアーズ・ブン・ジャバルをアル=ジャナドの裁判官に任命されている。これらは皆、司法の正当性の典拠なのである。
 司法の定義は上述の人々の間の裁判を含むと共に、市場監督(isbah)も含む。「市場監督」とは、山積みの食物に関するハディースに述べられているような「共同体の権利を害することに対する強制を伴う判断の宣告」である。
 「アッラーの使徒が食べ物が山積みになっているところへ通りかかられた。使徒がその中まで手を入れられると指に湿ったものが触れた。そこで使徒は『食べ物の売り手よ、これは何だ』と詰問されました。売り手が『雨に降られたのです』と答えると、使徒は『人々に分かるように、なぜそれを表面に置かなかったのか。商売で誤魔化す者は、我々(ムスリム)の一員ではない。』と咎められた。」
 また司法の定義には行政問題の検分も含まれる。なぜならそれも裁判の一種だからである。それは統治者に対しての苦情、つまり行政上の不正である。その定義は、「人々と、カリフ、あるいはその補佐、総督、公務員の誰かの間で生じた紛争、あるいは裁判の判決と統治の依拠する聖法のテキストの意味の解釈をめぐる人々の間での争いに対する強制を伴う判断の宣告」である。行政上の不正(malim)の語は価格統制に関して、「私は、アッラーに見える時、血(傷害・殺人)、財産について、その者に対して犯した不正(malamah)で私を訴える者が誰もいないことを望む」とのハディース に言及されている。為政者、地方総督、公務員などに対して誰であれ不正を訴えた案件は行政不正裁判官に申し立てられ、行政不正裁判官は強制を伴う判断を宣告する。これで使徒の言行録にある三種の裁判を包括する定義が与えられる。それは「人々の間の訴件の裁定、共同体の権利を害するものの阻止、あるいは臣民(rayah)と統治者の間の紛争、あるいは国民と公務員の間の公務員の仕事をめぐる紛争の解決」である。

裁判官の種類
 裁判官は三種類である。その第一は、裁判官であり、それは社会関係行為(mumalt)や刑罰に関する人々の間の訴訟の裁定の担当者である。第二は市場監督官(mutasib)であり、それは共同体の権利を害する違反の裁きの担当者である。第三は、行政不正裁判官であり、それは人々と国家の間の紛争の解決の担当者である。
 これが裁判の種類の説明であるが、即ち人々の間の訴訟を裁定する裁判の典拠は、使徒自身が裁判を行われ、またムアーズ・ブン・ジャバルをイエメン地方の裁判官に任命されたことである。市場監督とも呼ばれる共同体の権利を害する違反を裁く裁判の根拠は使徒の言行である。使徒は「商売で誤魔化す者は、我々(ムスリム)の一員ではない」と言われている。 このように使徒は、商売で誤魔化しをしている者を見つけ出して止めさせられ、また市場の商人たちに誠実(idq)と浄財(adaqah)を命じておられたのである。「我々はマディーナの市場で商売をしていたが、我々は「仲介屋(samsirah)」と呼ばれていた。そこにアッラーの使徒が我々の許にやって来られ、我々の自称より良い名(「商人」)で我々を呼ばれました。彼は『商人たちよ、こうした商売には無駄口や誓がつきものだ、それゆえそれを浄財で清めよ』と言われたのでした。」
「ザイド・ブン・アルカムとアル=バラーゥ・ブン・アーズィブは共同経営者だったが、二人で銀を即金と後払いで買った。その報が預言者に届くと、預言者は二人に、『即金で買った分は追認し、後払いで買ったものは返却せよ』と命じられた。」
 こうしてアッラーの使徒は後払いのリバー(利子取引)を禁じられた。これらはすべて市場監督の裁判である。
共同体の権利を害する違反を裁く裁判を「市場監督(isbah)」と呼ぶことは、イスラーム国家に特有の専門用語であり、つまりそれは商人、職人などの商売、労働、生産、計量などにおいて共同体に害を及ぼす誤魔化しがないかの監督である。二人に後払い(の利子取引)を禁じられたアル=バラーゥ・ブン・アーズィブのハディースに明らかなように、こうしたことを預言者は説明し、命じ、その裁定に人を任じられたのである。またイブン・サアドの『大列伝』、イブン・アブド・アル=バッルの『全書』に記されているように、アッラーの使徒はサイード・ブン・アル=アースをマッカ征服後、マッカの市場の監督官に任じられた。それゆえ、市場監督の典拠はスンナなのである。
 またウマル・ブン・アル=ハッターブは彼の部族の女性アル=シファーゥ・ウンム・スライマーン・ブン・アビー・ハスマを市場の裁判官、つまり市場監督裁判官に任命し、アブドッラー・ブン・ウトゥバをマディーナの市場監督に任命した。これはマーリク(マーリーキー法学祖、ハディース学者、795年没)が『踏み均された道(al-Muwaa)』、アル=シャーフィイー(シャーフィイー派法学祖、ハディース学者、820年没)が『遡及伝承集(al-Musnad)』に収録している。またウマルは預言者が為されていたように、自分自身でも市場監督の裁判を行い、市場を巡回していたのである。アル=マフディー(アッバース朝第3代カリフ在世775-785年)の治世までは、カリフは自ら市場監督を行っていたが、彼は市場監督に特化した機関を創設し、それは司法機関の一部になった。アル=ラシード(アッバース朝第3代カリフ在世786-809年)の時代には市場監督官は市場を巡回し、計量の誤魔化しを検査し、商人の商売を監督していた。
 行政不正裁判と呼ばれる裁判の典拠は、至高者の御言葉「お前たちが何かで争うなら、それをアッラーと使徒の許に持ち込め」(4章59節)である。この句は「信仰する者よ、アッラーに従い、使徒と汝らの中の権威ある者に従え」(4章59節)の句に後続している以上、臣民(rayah)と権威の間の紛争も、アッラーとその使徒、つまりアッラーの裁定に持ち込まなくてはならないのである。そしてそれにはこの紛争を裁く裁判官の存在が必要となるが、それが行政不正裁判官なのである。なぜなら行政不正裁判の定義は、人々とカリフの間の問題の裁定が含まれているからである。
 また使徒の言動も行政不正裁判の典拠である。但し、使徒は、国家の領域内のどこにも、行政不正裁判に特化した裁判官は任命されなかった。同様に正統カリフたちも同じ道を辿り、自分たち自身で行政不正裁判を行った。アリー・ブン・アビー・ターリブもそうであったが、特にそのための時間を決めていたわけでもなく、特別な手続きも定めず、不正が生じた時に、職務の一部として場当たり的に対応していたのである。その状態はウマイヤ朝第5代カリフ・アブドルマリク・ブン・マルワーンの治世まで続いたが、彼が行政の不正のために特別な時間と手続きを設け、そのために特定の日を定めた最初のカリフとなった。彼は自ら不正を取り調べたが、難しい問題は、その裁判官にまわしてそれを裁かせた。それからカリフは自分に代わって人々の間の不正を取り調べる代行者たちを置くようになり、不正の取調べための機関が設置されることになった。当時それは「正義の館」と呼ばれた。行政の不正の裁きに特化した裁判官を任命することは許される。なぜならカリフは、自分自身に許されていることなら何事でも、自分に代わってそれを行う代行者を任命することが許されているからである。またそれに特化した日時と手続きを決めることも、許容事項(mubt)に属するので許されるのである。

裁判官の資格条件:
 裁判官にはムスリム、自由人、成人、正気、義人、そして現実にイスラーム法の規定の何が当てはまるかを理解できることが資格条件となる。行政不正裁判を司る者は、それに加えて司法長官と同じく、男性であること、独自の法判断ができる学識者(ムジュタヒド)であることが条件となる。なぜならその職務は裁判に加えて統治であり、行政不正裁判官は統治者を裁き、統治者に対して聖法を執行するので、裁判官の他の資格に加えて男性であることが条件となる。また通常の裁判官の資格としては法学者であればよかったが、行政不正裁判官はそれだけではなく独自の法判断ができる学識者(ムジュタヒド)でなくてはならない。なぜなら行政不正裁判官が裁く不正には、聖法上の典拠がないか、典拠とした聖法が当該事件に当てはまらないかで、統治者がアッラーの啓示に則らずして裁いたことが含まれるが、こうした不正は、「独自の法判断ができる学識者(ムジュタヒド)」にしか裁くことができないからである。「独自の法判断ができる学識者」でない者が無知によって裁くことは、禁じられており、許されない。それゆえ行政不正裁判官には、統治者の資格条件、裁判官の資格条件に加えて、「独自の法判断ができる学識者(ムジュタヒド)」であることが条件となるのである。

裁判官の任命
 使徒の為されたことに基づき、裁判官、市場監督官、行政不正裁判官は、全国の全ての訴件に対しての一般的任命によって任命されることも許され、また特定の場所で特定の種類の訴件についてのみ任じられることも許される。使徒はアリー・ブン・アビー・ターリブをイエメンの裁判官に任じ、ムアーズ・ブン・ジャバルをイエメンの地方の裁判官に任じたが、アムル・ブン・アル=アースには1件の訴訟についてのみ裁かせたのである。

裁判官の俸給
 アル=ハーフィズ(イブン・ハジャル・アル=アスカラーニー)は『神佑』の中で「『俸給rizq』とは、『イマームが国庫からムスリムの福利厚生を行う者に支給するもの』である」と述べている。裁判は国庫から俸給を受け取るに値する仕事の一つである。それは国家がムスリムの福利厚生のためにそれを行うように彼ら(裁判官)を雇用する仕事なのである。そしてムスリムの福利厚生のために、国家が聖法に則ってそれを行う者を雇う仕事は全て、それを行う者は、それが崇神行為であろうと、なかろうと、その賃金を受け取る権利がある。その典拠は、アッラーが、「それに従事する者」(9章60節)と言われ、浄財の徴税吏に浄財を配分されているからである。「何であれ我々が誰かを雇ってその者に俸給を決めたなら、俸給を得た後で彼が得たものは、欲得である。」(ハディース)
 アル=マーワルディーは『網羅(al-w)』の中で以下のように述べている。
裁判は国庫から俸給を得ることが許される仕事に含まれる。なぜならアッラーが、『それに従事する者』(9章60節)と言われ、浄財の徴税吏に浄財を配分されているからである。またウマルはシュライフを裁判官に任じ、彼に毎月100ディルハムの俸給を払ったからである。カリフ位がアリーに移ると、アリーは彼の月給を500ディルハムに増額された。またザイド・ブン・サービトは裁判で俸給を受け取った。」
 またアル=ハーフィズ(イブン・ハジャル・アル=アスカラーニー)は『神佑』の中で以下のように述べている。
「アブー・アリー・アル=カラービースィーは、『預言者の直弟子とその後の世代の学識者全員の見解として、裁判官が裁判で俸給を得ることに問題はない。そしてそれは諸地方の法学者の見解でもあり、彼らの間に私は異論を知らない。確かに一部の者たちはそれを忌避しており、その中にはマスルークがいる。しかそれらの者たちの中でそれを禁じている者を私は誰も知らない』と述べている。イブン・クダーマ(ハンバリー派法学者、1223年没)も『大全(al-Mughn)』の中で「ウマルはムアーズ・ブン・ジャバルとアブー・ウバイダをシリアに派遣した時に、彼らに『お前たちの許にいる者たちの中の義人を探して、裁判官に任用し、彼らを優遇し、彼らに俸給を、アッラーの財(国庫)から支給せよ』と書き送った」と述べている。

法廷の組織構成
 裁判の判決の権限を有する一人の裁判官以外で法廷が構成されることは許されない。彼の他に、一人以上の裁判官が臨席することは許される。しかし彼らに判決の権限はなく、ただ協議、意見表明の権限を有するのみで、彼らの見解は拘束力を持たない。
 それは使徒が1件の訴訟で2人の裁判官を任命されたことは一度もなく、1件の訴訟につき一人の裁判官を任命されたからである。また裁判とは強制を伴う聖法の判断の宣告であるが、ムスリムにとって聖法の判断は一つであり、複数とはならない。それはアッラーの規定であり、アッラーの規定は一つだからである。確かに、その解釈は複数になることもあるのも事実である。しかし実際に行われるべきものということでは、ムスリムにとってそれは一つでしかなく、決して複数にはなりえないのである。裁判官が訴訟で強制を伴う聖法の判断を宣告する時、この宣告は唯一でなければならない。なぜならそれは本質においてアッラーの規定の執行であり、アッラーの規定は、その解釈が複数に分かれることがあっても、それが実行される時には唯一であり、複数とはなりえないからである。それゆえ1件の訴訟において、つまり一つの法廷において、裁判官が複数となることは許されない。
 全ての訴訟において、一つの地方であるが、人の場所に、別個の二つの法廷がある場合、それは許される。なぜなら裁判はカリフの代行であるので、代理委任(waklah)に準じて、複数になることが許されるのである。また一つの場所に複数の裁判官がいることも許される。一つの場所で、訴人たちの間で、2人の裁判官のどちらを執るかで争いが生じた場合は、原告の側が優先され、原告が望む裁判官がその訴訟を担当する。なぜなら原告は権利請求者であり、それゆえ原告が被請求者(被告)に勝るからである。
 裁判官は、法廷の座でしか判決を下すことは許されない。証拠証言も誓言も法廷の座以外では有効とは看做されない。その典拠は「アッラーの使徒は、2人の訴人は判事(kim)の前に座るように裁定された」とのハディース である。このハディースは裁判が成立する形式を明らかにしている。そしてそれはそれ自体が聖法で定められた形式である。つまり、裁判が成立する特定の形式が存在しなくてはならないのであり、それは2人の訴人が判事の前に座ることである。「アッラーの使徒がアリーに『2人の訴人がお前の前に座ったなら、最初の者の言い分を聞いたように、他方の言い分を聞くまでは発言してはならない』と言われた」とのアリーが伝えるハディースもそれを支持している。またそれは「2人の訴人がお前の前に座ったなら」との言葉で特定の形式を示しているのである。それゆえ法廷は裁判の成立条件であり、アル=ブハーリーがアナスから伝える「誓言は被告に課される」との使徒の言葉にある誓言の有効性の条件でもある。原告にここで言われること(誓言)が求められるのは、法廷において以外はない。アル=バイハキーの伝える「証拠は原告に課され、誓言は被告に課される」との使徒の言葉にある証拠も法廷でしか有効ではない。被告がここで言われること(証拠提出)を求められるのも、法廷において以外はないのである。
 裁判の種類に関して、裁判所に複数のレベルがあることは許され、一部の裁判官に一定期間、特定の訴件を任せ、それ以外の訴件を別の裁判所に委ねることも許される。
 それは、裁判はカリフの代行であり、それは代理委任と全く同じで、いかなる相違もないからである。それは代理であり、代理は不特定であることも、特定されていることも許される。それゆえ裁判官はある裁判官(甲)を特定の訴件について任命し、他の訴件については(代理委任を)拒むことも許され、また別の裁判官(乙)を別の訴件に任命することも許され、また同じ場所であっても最初の裁判官(甲)が任命された同じ訴件に任命することも許される。それゆえ第一世代のムスリムたちの間で存在したように、法廷のレベルが複数存在することは許される。
 アル=マーワルディーは『統治の諸規則(al-Akm al-Sulaiyah)』の中で以下のように述べている。
「アブー・アブドッラー・アル=ズバイリーは言った。『バスラの我々の指揮官たちは一定の期間、裁判官を大モスクに勤務させ、「モスク付裁判官」と呼んでいた。200ディルハムと20ディーナール、あるいはそれ以下で裁判を行い、必要経費を課した。彼はその場を外れることも、決められた金額を超えることもなかった。』」
 使徒はアムル・ブン・アル=アースに彼の代行を委ねたように、1件の訴訟のみの裁判に彼の代行を任じたこともあれば、アリー・ブン・アビー・ターリブにイエメンでの裁判を代行させたように、ある地方の全ての訴訟での裁判の代行を任命することもあった。それは裁判を限定することが許されるのと同じく、その一般化も許されることを示しているのである。
 破毀院、控訴院もない。裁判は決定のレベルにおいては単一であり、裁判官が判決を下せば、その判決は執行される。それを他の裁判官の判決が破棄することはありえない。イスラーム法原則に「イジュティハード(独自の法判断)は同格の判断を破棄しない」とある通りである。どのムジュタヒドにも他のムジュタヒドに対する論駁はない。それゆえ他の裁判所の判決を棄却する裁判所の存在は有効ではない。
 但し裁判官が、イスラーム法の法規定を捨てて、不信仰の法規定で裁いたか、クルアーンか、スンナか、預言者の直弟子たちのコンセンサスの確定的な明文に反する裁定を下すか、あるいは故意の殺人で同害報復刑の判決を下したところが、真犯人の殺人犯がみつかったなどの事実と異なる判決を下したような場合には、裁判官の判決は破棄される。
それは「われわれのこのこと(宗教)に本来そこになかったものを捏造した者は否定される」とのハディース による。またジャービル・ブン・アブドッラーは「男が女と姦通をした。そこで預言者の命令で彼は鞭で打たれた。その後でその男は既婚者であると判明した。そこでその男は預言者の命令で石打に処された。」と伝えており、マーリク・ブン・アナスは、以下の話を伝え聞いたと伝えている。「ウスマーンの許に6か月で出産した女性が連れてこられたが、ウスマーンは彼女を石打にするように命じた。するとアリーが彼に「彼女に石打はない。なぜなら至高なるアッラーは『妊娠と離乳は30か月』(46章15節)と言われ、また『母親は授乳の全うを望む者には、彼女らの子を満2年間授乳する』(2章233節)と言われているので、妊娠は6か月であることになり、それゆえ彼女には石打はない。」と言った。そこでウスマーンは彼女の釈放を命じた。」
 アブドッラッザーク(al-ann, ハディース学者、827年没)はアル=サウリー(Sufyn, ハディース学者、法学者、778年没)が「もし裁判官がクルアーンか、スンナか、コンセンサスの成立していることに反する判決をくだしたら、彼の後の裁判官がそれを棄却する。」と述べたと伝えている。
 そしてこれらの(誤った)判決を棄却する権限を有しているのは行政不正裁判官なのである。

市場監督官
 市場監督官とは、法定刑の課される罪や傷害・殺人の範疇には入らないが、公共の権利にかかわり、しかし原告がいないような、全ての問題を司る裁判官である。
 これが市場監督裁判官の定義であり、山積みにされた食物のハディースから取ったものである。使徒は山積みにされた食べ物の湿気を感知し、人々が見えるように、それを山の表面に置くように命じられた。これは人々に共通する権利であり、使徒はそれを視察し、誤魔化しがなくなるように、湿った食べ物を山の表面に置くように裁定されたのである。これはこの種の全ての権利を含んでいるが、法定刑犯罪、傷害・殺人罪は含まない。なぜならそれらは本来、人々の間の争いであり、この範疇には入らないからである。 

 市場監督官の権限
 市場監督官は法廷を開廷することなくいかなる場所でも違反に気付いた現行犯でその違反を裁くことが出来る。市場監督官はその命令をその場で執行するために配下に複数の警察官を従える。
 市場監督官は訴訟を司るために法廷を要さず、違反の存在を確認さえすればそれを裁くことができる。市場監督官は、市場であれ、民家であれ、乗り物の上であれ、戦場であれ、昼夜を問わず何処でも何時でも裁く権限を有する。なぜならば訴訟を司るのに法廷が条件となることを論証する典拠は市場監督官には当てはまらないからである。裁判に法廷が条件となることを証明するハディースは「2人の訴人が判事(kim)の前に座る」、「2人の訴人がお前の前に座ったなら」と述べているが、こうした条件は市場監督の裁判官には存在しないのである。なぜならば市場監督の裁きにはそもそも原告と被告がおらず、公共の権利の侵害か、あるいは聖法の違反があるだけだからである。また使徒は山積みの食べ物を視察した時には、市場を巡回中であったが、その食べ物が売り物として山積みされているのを見聞したのであり、その持ち主を彼の許に召喚したりはせず、違反を見つけたその場で裁きを下されたのである。これは市場監督の裁判が法廷を必要としない典拠なのである。
 市場監督官には、市場監督官の資格条件を備えた代行者を選任し、様々な方面に配属する権限を有する。こうした代行者たちには、その委任された問題について、任命された地域、地区内で、市場監督の任務を遂行する権限が与えられる。
 但しこれは市場監督官の任命の時点で、その任命に代行任命権、つまり後任指名(istaikhlf)権の授与が含まれていた場合である。もし彼に後任指名権、つまり代行任命権が与えられていなければ代行の任命の権限はないのである。 

行政不正裁判官
 行政不正裁判官とは、臣民(rayah)であれ、「非―国民」であれ、国家権力下に暮らす個人が、カリフであれ、それ以下の為政者や公務員であれ、国家から蒙った不正の除去のために設けられた裁判官職である。
 以上は行政不正裁判官の定義であるが、行政不正裁判官の典拠は、預言者が為政者が不当に行った行為を不正と呼ばれたと伝える以下ハディースである。
「使徒の治世に物価が上昇し、人々が『アッラーの使徒よ、物価統制をされてはどうでしょう』と言うと、使徒は言われた。『アッラーこそ、物価を創造し、高め、低くし、恵まれる御方である。私は、(楽園で)アッラーに見える時、血についでであれ、財産についてであれ、私がその者に不正を為したと誰も訴えないことを望む。』と言われた。」
使徒は物価統制を不正(malimah)と呼ばれた。なぜなら、もしそれを行えば、彼に権利のないことを行ったことになるからである。同様に国家が人々の福利厚生のために計らった公共的諸権利に関して生じた諸問題の不正の処理は行政不正裁判の管轄となる。
 もし人々の公正福利のために何らかの行政の制度を設けたところ、臣民(rayah)の誰かがその制度によって不正を蒙ったと訴えるなら、その訴件は行政不正裁判の管轄となる。なぜならそれは国家が人々の福利厚生のために設けた行政によって生じた不正だからである。
例えばそれは、公共の水を国家が設置した水車で農業の潅漑のために引いた場合に生じた不正のようなケースである。その典拠は、あるマディーナの「援助者」の一人が、国家の潅漑によって蒙った不正についての以下のハディースである。それは潅漑用水を一人、一人、順番に農地に流す、という制度であったが、その「援助者」は、アル=ズバイルが、彼の農地に水を遣る前に、自分の農地に水を流すことを望んだ。それはその用水路がアル=ズバイルの土地に先に通っていたからであるが、アル=ズバイルはそれを拒んだ。そこでこの問題はアッラーの使徒の許に持ち込まれたが、使徒は、先ずアル=ズバイルが自分の農地に軽く水を引いた後にその「援助者」の隣人に水を回すようにと(つまり、アル=ズバイルがその「援助者」を助けるために水車に一杯の水を取らないようにと)、と2人の間を裁定した。しかしその援助者はその裁定に満足せず、アル=ズバイルの潅漑の前に自分の農地に水が流れることを望んだ。そしてアッラーの使徒に、彼のその裁定がアル=ズバイルが自分の従兄弟であるから(身内を贔屓したのだ)と言った。(それはアッラーの使徒に対する重大な不敬であったが、使徒はその「援助者」がバドルの戦いに参加した古参の信者であったために、その発言を赦された)
そこで使徒はアル=ズバイルが潅漑における彼の権利を全うすること、それは水が、塀の土台、つまり側壁、あるいは木の根元に達するまで水を引くようにと裁定した。(学者たちは、その意味を「人のくるぶしまで水が達するまで」と解釈している)。
 それゆえ上述のこの二つのハディースから理解されるように、統治者によるものであれ、国家機関とその命令によるものであれ、誰が蒙った不正であれ、不正行政とみなされ、その件は、その不正の解決のために、カリフか、カリフがその代行を委任した行政不正裁判官に訴えることができる。

『カリフ国家の諸制度 ― 統治と行政』
最終更新:2011年02月12日 16:19