南オセチア紛争2日目(8月9日)

南オセチア紛争2日目(2008年8月9日)


南オセチア紛争初日(8月8日) > 南オセチア紛争 > 南オセチア紛争3日目(8月10日)


以下、時間はモスクワ時間。

時間 出来事
0007 南オセチアで、グルジア空軍のSu-25撃墜。
0019 米国務長官コンドリズ・ライス、「ロシア軍は、グルジア領土を離れなければならない」と表明。
0033 グルジア外務省のサイトに、サアカシュヴィリとヒトラーの写真のコラージュが現れる。
0057 ロシア空軍機、ポチ港とセナキ軍事基地を空襲。
0146 サアカシュヴィリ、非常事態の宣言を準備。
0201 グルジア、戦略施設の疎開を布告。
0210 2時頃、グルジア砲兵が、ロシア平和維持軍陣地を砲撃。
0327 国連安保理の2回目の会議も、不首尾に終わる。
0517 グルジア、イラクから1千人を撤退させる。
0719 ロシア第58軍部隊は、今朝、ツヒンヴァリ付近に陣地を占領し、「平和強制」作戦の準備を始めた。
0750 ツヒンヴァリでロシア軍兵士3人が戦死。南オセチアでのロシア側戦死者の合計は、これで15人。
0804 ツヒンヴァリにスペツナズ投入。紛争地帯には、完全充足の第58軍戦車、砲兵、自動車化狙撃兵、偵察部隊も投入される。紛争地帯に近いロシアの飛行場には、偵察、攻撃航空隊が配備。
0839 ロシア兵の主張によれば、グルジア軍は、南オセチアからロシアに向かう負傷兵を乗せた縦隊を銃撃した。
0935 第58軍部隊は、ツヒンヴァリのロシア平和維持軍キャンプに突破した。弾薬と食料が平和維持軍に届けられ、負傷兵の後送措置が行われている。
0950 メドヴェージェフ大統領、「平和強制作戦」の着手について語る。
1014 グルジア国防省の主張によれば、グルジア軍は、南オセチアにおいて攻勢を首尾良く継続している。ダヴィド・ケゼラシヴィリ国防相の言葉によれば、1つの陣地も譲らなかっただけではなく、新たな陣地を占領し続けている。
1035 グルジア外務省の情報によれば、ロシア空軍がポチ港を爆撃し、同港は完全に破壊された。
1050 ロシア空軍、ゴリ近郊の砲兵を空襲。
1101 ロシアのマスコミによれば、グルジア砲兵は、ツヒンヴァリを砲撃し続けている。
1101 ロシア、南オセチアからの難民3万人以上を受入。
1137 南オセチアに第76空挺師団部隊を投入。南オセチアには、第98空挺師団、第45独立偵察連隊の部隊も投入されるだろう。
1139 ロシアのマスコミによれば、ツヒンヴァリ砲撃が止む。グルジア軍の火点は制圧された。
1150 ロシア地上軍総司令官ウラジーミル・ボルドゥレフ上級大将の表明によれば、第58軍の大隊・戦術群は、ツヒンヴァリを完全に解放した。彼の言葉によれば、負傷者のロシアの病院への後送が既に組織されている。
1155 ロシア外務省、南オセチア紛争の扇動でウクライナを非難。
1210 グルジア、ロシア機10機を撃墜と主張。南オセチア、グルジア機2機を撃墜と主張。
1216 グルジア国防省によれば、ロシア機が撃墜され、パイロットを捕虜にした。
1227 ロシア連邦軍参謀次長アナトーリー・ナゴリツィンは、紛争地帯でロシア空軍機2機の喪失を認めた。彼の言葉によれば、撃墜されたのは、Su-25とTu-22。
1227 ラヴロフによれば、南オセチア紛争の犠牲者は、1,500人に達した。
1246 ロシア連邦軍参謀本部によれば、ロシアはグルジアとの戦争状態にはない。
1247 アブハジア当局によれば、グルジアは、アブハジア国境に部隊を集結し続けている。ガリ地区アブハジア大統領全権代表ルスラン・キシマリヤの表明によれば、グルジアは、イングリ川沿いに軍事的プレゼンスを顕著に増大させた。
1306 サアカシュヴィリ大統領、国家安全保障会議の席上で、戒厳令の導入を決定したと発表。
1307 ロシア機、更に1ヶ所のグルジアの飛行場を攻撃。
1307 グルジアのジャーナリストによれば、撃墜されたロシア機のパイロットの1人は戦死し、1人は捕虜となった。彼らの言葉によれば、捕虜になったパイロットは、既に尋問中である。
1330 グルジア外務相エカ・トケシェラシヴィリによれば、グルジアはロシアとの外交関係を維持。
1355 1355頃、グルジア砲兵は、ツヒンヴァリのロシア平和維持軍陣地の砲撃を再開した。
1427 南オセチア情報・出版委員会は、ロシア国民と指導部に独立承認の援助を要請した。「ファシストのグルジアで暮らすことは、可能ではない。南オセチア共和国の独立承認の法的援助を要請する。」
1441 ロシア空軍、アブハジア国境付近のコドリ峡谷を攻撃。
1452 サカシュヴィリ大統領、紛争地帯での「即時停戦」と「衝突線からの部隊の撤退開始」を提案。
1511 ロシア平和維持軍、グルジア砲兵の最後の火点が位置するプリス高地を巡り、グルジア軍と戦闘。
1514 ロシア平和維持軍によれば、グルジア兵が投降し、ツヒンヴァリの陣地を離れている。ニコジ村では戦闘継続中。
1520 グルジア議会は、臨時会議において、グルジア全土への戒厳令の導入に関するサアカシュヴィリ大統領の命令を全会一致で承認。戒厳令は、8月9日から15日間導入される。
1554 グルジア当局、ロシア人パイロット3人の拘束について報道。
1554 グルジアのマスコミ、撃墜されたロシア機のパイロットの名前(イーゴリ・ジノフ大佐)を挙げる。
1600 ブッシュ大統領、サアカシュヴィリとの電話会談後、ロシアは紛争地帯での爆撃を停止すべきだと表明。
1630 死亡した「ロシア人パイロット」、グルジアのTVで放映。
1635 アブハジア軍、コドリ峡谷のグルジア軍集結地に対して砲爆撃。
1638 駐グルジア露大使館報道官アレクサンドル・サヴィノフの主張によれば、グルジアで.ruドメインがブロックされた。
1708 ロシア、ロシア平和維持軍兵士の死亡の事情調査のため、ハーグとスラスブールに訴えることを計画。
1713 ロシアのTu-22が、S-200と思われる長射程対空ミサイルにより撃墜された。国防省筋の意見によれば、このミサイルは、ウクライナからグルジアに納入されたものである。
1715 米露大統領間で電話会談が行われ、メドヴェージェフは、南オセチアでロシアが遂行する任務をブッシュに説明した。これは、グルジア側への平和の強制と、自国市民の生命及び尊厳の擁護である。メドヴェージェフは、南オセチアの状況への自分の評価も披露した。
1719 グルジア保健省の情報によれば、戦闘中、民間人15人を含む55人が死亡した。ロシア側の情報によれば、1日半で13~15人のロシア平和維持軍兵士が戦死した。ツヒンヴァリでは、1,500人が犠牲となったと考えられている。
1719 ロシア軍がグルジア軍の駐屯地で鹵獲した文書によれば、グルジアは、ツヒンヴァリを1日で奪取することを計画していた。
1744 駐グルジア露大使によれば、ツヒンヴァリの犠牲者は、少なくとも2千人となった。
1744 紛争地帯で、「コムソモーリスカヤ・プラウダ」のジャーナリストが負傷。
1754 サアカシュヴィリの表明によれば、グルジア軍は、60人のスペツナズを殲滅した。彼の言葉によれば、戦闘は、ツヒンヴァリ地区のチアカニ高地で行われた。
1800 サアカシュヴィリによれば、抗議のため、グルジア選手団がオリンピックを離れることもあり得る。
1830 「NATOの機材」を積んだ自動車が、バトゥーミから南オセチアに向かう。
1835 ウクライナとエストニア、グルジアに非軍事援助提供を決定。
1900 ロシア黒海艦隊、アブハジア沿岸に戦力を移動。
1910 南オセチア軍の主張によれば、ツヒンヴァリ郊外の攻撃時、10台以上のグルジアの戦車が撃破された。
1912 イラン、南オセチア紛争の平和的調停に従事することを決定。
1939 サアカシュヴィリ、メドヴェージェフに停戦を提案。その間、マスコミの報道によれば、グルジアの戦車がツヒンヴァリ攻撃を準備中。最新の情報によれば、既に数両が防衛線を突破し、市内に突入した。南オセチア軍の主張によれば、戦車3両が撃破された。
2022 ロシア当局は、サアカシヴィリからの停戦の提案を受け取っていない。
2038 グルジア軍は、北オセチアとツヒンヴァリを結ぶザルスカヤ道の奪取を企図。
2038 プーチン首相、南オセチア侵略の即時停止と他民族の権利の尊重をグルジア当局に要請。
2140 グルジアのマスコミによれば、南オセチアとロシアを結ぶロクスキー・トンネルが爆破された。
2205 グルジア当局によれば、紛争で82人(軍人45人、民間人37人)が死亡した。
2224 ロシア、ロクスキー・トンネル破壊の報道を否定。
2241 EC加盟国の外務相、南オセチア情勢に関して緊急会議を召集。
2325 南オセチアで、「ヴェスチ」のジャーナリスト2人が負傷。
2351 アゼルバイジャン、8月9日からグルジア経由の石油の搬出を停止。

南オセチア紛争初日(8月8日) > 南オセチア紛争 > 南オセチア紛争3日目(8月10日)

最終更新:2008年09月02日 20:21
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。