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つるや食堂

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hiroki2008

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つるや食堂


実在する食堂をネタにmixi日記に貼ったSS




 給料日前だというのに職場の同僚と酒場をハシゴし、財布の中身がいくら残っているのかも、その店が何件目かも覚えていなかった。ただ酒が飲めればどうでもよかった。それまで愛想よく付き合ってた後輩が、気が付くといなくなっていたのでどうやら先に帰ったのだろう。なんか終電がどうとか言ってたような気もする。寄りかかる相手をなくして我に返り、見上げると丸い月が出ていた。あの頃と変わらない真ん丸い月が。

 ハルヒ達と疎遠になってだいたい十五年くらいになる。大学を出てそれぞれ就職し、給料を稼ぐだけの生活にずぶずぶとのめりこんでいった。あの長門でさえ、今日は仕事だからと会うのを断った。俺たちはだんだん、世間のしがらみに流され本音と建前の波に揉まれ、妥協と嘘を覚えながら歳を重ねていった。
 あいつらと会わなくなったのは、別に遠くに引っ越したとか転勤になったとかじゃない。連絡ならすぐにつく、電話一本だ。でもその電話一本がなぜかかけられない。時間が経てば経つほど電話のワンコールが重く感じられる。昔の人はいいこと言ったよな、箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川。意味は習ったはずなんだが、近くても帰れない場所がある、みたいな。詳しくは忘れた。

 女の子が相手をしてくれる派手な酒場でもよかったのだろうが、俺はなぜかその店の明かりにふらふらと寄せられた。古びた赤い提灯がともる、やけにアンティークな店構えだ。かなり酒が回っているらしく、看板を凝視しようとするんだがにじんでよく見えない。
「いらっしゃい」
のれんを分けてガラガラと引き戸を開けると女の声がした。焼き鳥を焼く煙かタバコの煙か、茶色く染まった壁に丁寧に毛筆で書かれたメニューがいまにも剥げそうに貼ってあった。棚の上からテレビが俺を見下ろし、深夜のニュースを流している。磨いてはいても相当な年代を感じさせる一枚板のカウンタと、テーブルが四つあるだけの小さな店だった。
「えーと、とりあえず、ビールの中ビンお願いします」
ろくにおしながきも読まず、どこにでもあるだろうビールを頼む。
「あいよっ」
茶色のビンにコップを被せ、目の前で栓を向いて注いでくれた。地味な和服の袂からほっそりした白い腕が伸びていた。声を聞く限りは俺くらいの歳か。なんだか、懐かしい匂いがする。
「ヤキソバあるかな?」
「あるある、今日はヤキソバデーだよっ。もう活きがよすぎて麺が踊ってるくらいだかんね、あははっ」
俺は皿の上で踊る茶色い麺を妄想して堰を切ったように笑った。酒が入るとよく笑うんだ。
「うまいこと言いますね」
「そうかいっ、んじゃ青海苔はサービス」
「あどうも、ありがとう」
青海苔くらいふつータダだろうと思ったのだが、なぜかありがたく頂戴した。
 ビールにヤキソバなんて、妙に庶民くさくてオッサンくさくてチープな組み合わせなのだが、思いのほかうまくて俺は麺とキャベツに紅ショウガを挟んでもさもさと食った。
「このヤキソバ、どっかで食ったことあるんだよなぁ。なんでだろ」
「前にもこの店に来たんじゃないかい?」
「いや、ここに来るのははじめてだと思うんですが」
どこでこの味を知ったのかシチュエーションを思い出そうと、ヤキソバを食いながら目を閉じると、なぜかメイド服を着た二人の女の子が目に浮かんだ。すごく身近な誰かなんだが、あれ誰だったっけ。
 目を上げると髪を姉さん風に結い上げた端正な顔立ちの女だった。
「おかみさん、昔髪伸ばしていませんでした?」
「あれれ、よく知ってるね。今は結ってるけど昔はサラリとしたきれいな髪でね。道を歩くと男どもが必ず振り返って見たもんさ」
「も、もしかして鶴屋さんですか!?」
凝視する俺の顔をじっと凝視した。
「あ……、キョンくんかい?」
「そうですそうです、俺です」
「これまたなっつかしいじゃないか、いやぁあははは、分からなかったよ。だってあれから、ええと何年経ってるんだっけ」
「十五年くらいは経ってるんじゃないかと。それにしても、こんなところで何やってんです?」
「見てのとおり、ここがあたしのうちさ」
鶴屋家って確か財閥だったんじゃ。あのお屋敷はどうなったんですか。
「あれからいろいろあってねぇ。旦那と別れたり親が病気になったり、おやっさんの会社が倒産したりしてね。父さんが倒産しちゃった、なんてねぇあはははは。いやぁ、いくら財閥でも時代の趨勢には逆らえないさ」
笑えないダジャレで少しだけ悲しそうに笑ってみせる鶴屋さんだった。
「そうだったんですか。苦労されたんですね」
「親からもらったのはこの古びた店だけ。でもあたし一人食っていくにはここで十分さ。それが分相応てもんだよ」
なんだか妙に目が潤んでいく。俺たちが好きなもん食って好きなところに行って、そのためだけにのうのうと働いて過ごしている間に、こんな人生を送っていた人がいたんだな。
「ちょっと電話借りていいですか」
「そこに赤電話があるよ」
小銭がなくて鶴屋さんに十円玉を借りて、チャリンと落とした。酔っているからか涙目になっているからかダイヤルがはっきり見えなくてなかなか回せない。

「もしもし、ハルヒか?今からちょっと出てこないか」
「なによキョン、いきなりかけてきて。今何時だと思ってんの、ブーッ」
忘れてた。携帯相手だと十秒くらいしか話せないんだ。
「鶴屋さんすいません、十円玉もっとください」

── もしもしハルヒ、懐かしい人を見つけたんだ。ああ、深夜なのは分かってるが。なんとなくまたあの頃みたいに五人で集まってみたくなった。

「鶴ちゃん!こんなとこにいたの!?」
「ハルにゃんよく来てくれたねえ」
ハルヒがタクシーで乗りつけた。半年ぶりに見るハルヒの顔はたいして変わっていないはずだが、どことなく疲労感が見えて五年は会ってないような気がした。
「有希も連れてきたわ。だってあたしたちはセットじゃないとメリハリがつかないもの」
「……十五年ぶりかもしれない」
「長門っちじゃないかぁ、ぜんぜん変わってないねえ。元気にしてたかい?」

 ものはついでだからと寝てる古泉を電話で叩き起こし、緊急事態なので今すぐ出てこいと受話器越しに怒鳴った。できれば朝比奈さんも呼びたいんだがなぁ、などと考えていると、どうやって思いが通じたのかドアをガラガラと開けて朝比奈さんが入ってきた。このどう考えても偶然じゃないシチュエーションは昔に何度もあった気がする。
「鶴屋さん、お久しぶり」
「あれれ、みっくる~、よくここが分かったね」
「お元気そうね」
「朝比奈さん、どうして俺の願いが分かったんですか」
「ふふっ、それは禁則事項です。みんながここで会うことになっているのは知っていたの」
そりゃまあ、未来から見ればどんな出来事もお見通しでしょうね。

 月の低くかかる週末の夜、煙に薄汚れた寂寥感漂う小さな店で、ここだけタイムトラベルした気分だった。あの頃と同じにハルヒが朝比奈さんに抱きつき、長門がもくもくと飯を食い、古泉がコップ片手に哲学めいた話をしていた。
「こんな汚い店に集まってくれて、あたしは……あたしは嬉しいっさ」
鶴屋さんは笑った。笑いながら涙を流した。

 ずっとなにか忘れていた気がする。ハルヒの奇矯な振る舞いに付き合わされた俺たちだったが、ほんとはそんな東奔西走するような事件はどうでもよかったんだ。ハルヒが本当に欲しかったのは映画やこの世の不思議や宝捜しなんかではなくて、見えないけれど大切な、人と人との間にあるもの。それが俺たちSOS団が見つけた宝なのだ。



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