陽岱鋼

1987年1月17日生まれ 台湾出身 A型
05年高校生ドラフト1位で入団。

以前は内野手登録で、主にショートを守っていた。
2012年からは外野手登録でセンター。右投げ右打ち。

08年はショート金子誠の怪我でシーズン序盤はショートとしてスタメン出場。ところがポロリや魔送球などのやらかしが多く、ショートに打球が飛ぶたび住人は心臓が締め付けられそうに… 住人が(元)会長のありがたみを知った瞬間である。
また打撃も二軍で首位打者争いができるだけの力がありながら、一軍ではイマイチ発揮しきれていない。
ショートの強打者・二岡智宏が加入する09年シーズンは「一軍の壁」を乗り越えることが期待されており、そのためか外野手コンバートが発表された…が、10年に向けショートの練習を再開。陽、どこへ行く…
09年11月には本名を「陽仲壽」から「陽岱鋼(ヨウ・ダイカン)」に改名、登録名もこれにならう。台湾ではよくあること。改名の甲斐あってほぼ一軍定着。

2011年はFA移籍したひちょりの穴を埋めるべく、2番打者に抜擢される。賢介がケガで離脱してからは1番を任せられた事もある。
…が、三振があまりにも多く、西武のおかわり君と並ぶリーグ最多三振を記録。「北の三振王」と呼ばれる事も。
2012年シーズンより正式に外野手登録、そして糸井とポジション交換してセンターへ。
外野手転向後は、相変わらず安定した守備を見せている。果敢にダイビングキャッチを成功させたりするが、ケガしないでよ?
同年オールスターに外野手部門ファン投票にて選出され、そして公式戦で自身初のフルイニング出場を達成させた。
この年、得票数158でトップでゴールデングラブ賞外野手部門を受賞(初受賞)、2013年より背番号が念願の「1」になった。
2013年WBCの台湾代表にも選出された。
13年シーズンは5月に12盗塁を決め、序盤からトップを独走。9月以降は13回試みて12回成功する。特に上位3名中成功率を.825という高い成効率を誇り、47盗塁で球団初の最多盗塁(盗塁王)のタイトルを獲得、さらにこの年のゴールデングラブ賞外野手部門を連続で受賞する。
14年シーズンは肩の調子がいまひとつだったり相手捕手のスパイクで膝を切ったり(予想以上に長引く)する中活躍。
この年のオールスターにファン投票(外野手部門)3位で選出(選手間投票とダブル)、第1戦で2本の二塁打を含め3安打を放ち、第2戦でもスリーベースとタイムリーを含む3安打を放って敢闘賞を獲得、また2戦通じて活躍した選手に贈られるBe a driver賞も受賞(2回目)。
また、2戦目ではペーニャの代役としてホームラン競争に出場し優勝してしまう。シーズンオフに3年連続でゴールデングラブ賞(外野手)を受賞する。
15年シーズンはけがもありなかなか活躍はできなかった。16年シーズンこそという年で同年4月1日に自身初のサヨナラタイムリーを放った。
幾度かの好プレーなどでチームを助けてきたものの、同年11月7日にFAを行使して移籍することを宣言した。

エピソード

  • 台湾の少数民族・阿美(アミ)族。身体能力の高い民族らしい。
  • (後述)、同郷の王監督(当時)がいるソフトバンクへの入団を希望していた。
  • 福岡第一高校を卒業したために日本人扱いである。なお留学生のため、同期の木下達生今成亮太より1つ年上。
  • ドラフト会議ではファイターズとソフトバンクが競合。一旦は「交渉権を得たのはソフトバンク」という発表があり本人も喜んでいたがそれが間違いだとわかり涙を流す。(結果的になんやかんやで無事にファイターズに入団。)
  • 後に「あの時泣いたのはソフトバンクに入団できなかったからではなく、競合になったことで本当にプロになれたんだ、と実感したから」と語っていた。
  • 長兄はソフトバンクの陽耀勲(彼は外国人登録。読み方はヤン・ヤオシュン)。12年8月8日に兄が中継ぎとして登場し、7年越しでようやく兄弟対決が実現。わずか1球でヒットに仕留めて弟の勝ち。
  • 次兄は四国・九州アイランドリーグ、長崎セインツの陽耀華(読み方はヨウ・ヨウカ)。
  • どうやら阿美族は本気でスポーツ一族らしく、陽の親戚には台湾代表の野球選手やらバスケット選手やら野球留学で来日中やらごろごろでてくる。しかもほぼ全員同じ顔。女性も同じ顔。
  • 野球を始めたきっかけは兄。幼少時に体が小さかったので両親に頼むと許して貰えなさそうだったので、元台湾プロ選手のおじ(日本の社会人野球経験者)に頼み込んだ。本気の投球を受けたらやってもいいと言われて一発でキャッチして野球を始めることができた。
  • 台湾は徴兵制があるためオフはちゃんと兵役に服した。坊主になった。
  • まいどいわく「ジュリア・ロバーツ似」。
  • 09年12月、台湾の球場にて彼女に堂々プロポーズ
  • その彼女は元モデル。08年12月には既に入籍していたことが判明。入籍後に公開プロポーズ?台湾ではよくあること
  • おしゃれさん。お出かけ前には何を着ていくか15分くらい考えている。ファッションのポイントは帽子。
  • しかし以前は髪のセットの仕方もわからず、今成にやってもらっていた。
  • おもな守備位置がライトの関係で、7回表前などに遊びに来た対戦相手のマスコット(主にドアラ)とじゃれる様子がたまに目撃される。
  • 2012年オールスター第1戦では1回裏に先頭打者ムランを巨人のすぎうちくんから放つ(全パでは1996年イチロー以来の出来事/オールスターでは2001年巨人の高橋、初出場では2007年中日の森野以来)。9回にもツーベースを打ち敢闘選手賞受賞。第3戦ではスリーランと複数ヒットで4打数3安打と大活躍でもちろんMVPを獲得する。
  • 12年シーズンから、お立ち台では「サンキューでーす!」が決め台詞。オールスターでMVPのヒロインでも披露した。二言目以降のテンションがガタ落ちするのは仕様らしい(インタビュー自体は真面目にという事で)。
  • お笑いの2700・ツネに似ているらしい。
  • 13年9月18日に高校生以来となる4番でスタメンとなり「(オーダーを)見たときは、誰かが遊んでいるのかと思った」
  • GG賞を受賞したその日にDEナイトにおいて卓田アナの携帯にお祝いメッセージの返信があったことを発表された。

兄弟対決

  • 12年8月8日@帯広。リリーフとして登板した兄と対戦し、結果センター前ヒット。
  • 12年9月1日のvsソフトバンク戦では兄が先発として出場し、兄弟対決。先頭打者だったためいきなりの対決。結局三振。この日は御両親も観戦(父:ハムビジターユニ/母:12年鷹の祭典ユニ)しており、何度もテレビに抜かれていた。
  • 同クライマックスシリーズ・ファイナルステージ第1戦、先頭打者としてヒットを打ち、同点の足掛かりとする。

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最終更新:2016年11月07日 18:34