宮西尚生

1985年6月2日生まれ 兵庫県出身 O型
07年大学・社会人ドラフト3巡指名で入団。

関西学院大学時代に48回1/3連続無失点の関西学生リーグ記録を作る。
日本代表に選出された事もあり、国際大会の経験豊か。

08年は左の中継ぎとして、ルーキーではただ一人一軍の座を守りきった。
09年は2年目のジンクスなどどこ吹く風の快進撃であったが、球団を襲ったインフルエンザ禍に巻き込まれ感染、登録抹消されはじめての鎌ヶ谷体験をする。
しかし復帰後いきなりピンチで救援成功→回跨ぎで勝利投手の座をゲット、中継ぎでありながら勝ち☆チーム4位という活躍ぶりである。
10年は昨年を上回る61試合で防御率1.70、左の中継ぎエースとして大活躍。でもやっぱり終盤ウィルスにやられる。こんどは結膜炎。
12年8月17日鴎戦で通算100ホールドポイントを達成。
セ・パ統一の新規定が導入された2005年以降の入団選手に限ると、入団5年目での達成はパ・リーグ最速。
5年連続50試合以上投球したこと等も評価され、1億円プレーヤーの仲間入りを果たす。
13年7月4日の鷹戦でホールドがついて通算107ホールドポイントとなり、球団歴代単独1位となった。
同年パリーグ新記録となるホールドポイント記録を達成する。(12連続)
14年シーズンも7年連続となる50試合登板を達成、国内FA権を獲得をして動向が騒がれていたが
同年11月8日に残留することが発表、はむせん民も安堵。そしてこの年のファン感で次期キャプテンとして任命される。
15年のオールスターの監督推薦にて初めて選出、シーズンオフに左ひじの手術も、12月末に自宅付近で転倒して右手小指を骨折。
16年シーズン開幕には間に合わなかったものの同年4月8日に登録される。
同年5月14日の対西武において7回に登板して無失点に切り、史上2人目の通算200ホールドを達成(もちろんパリーグでは初めて)、同年7月27日の対西武にて通算500試合出場を果たす。この年に最優秀中継ぎのタイトルも獲得した。
17年8月3日の対ロッテにおいて通算250ホールドを達成、同年9月26日の対オリックスにおいて、パリーグ史上初のルーキーイヤーからの10年連続50試合登板を達成した。
18年6月30日の対オリックスにおいて7回途中より登板、ピンチをしのいで600試合登板を達成、同年7月6日の対ロッテにてNPB最多となる274ホールドを達成、同年9月27日には新記録となる325HPを達成、海外FA権も獲得も残留することとなった。シーズン終了後には左ひじを手術した。
なおこの年のオールスターのファン投票で中継部門で選出、同年7月13日の第1戦目の6回に出場、ヒット1本を打たれるも無失点に切って取り、その後味方が得点をあげたので勝利投手となった。
19年シーズンは手術明けであったが何とか間に合わせて迎える。その中で同年4月13日の対ロッテにおいて300ホールドを達成。入念なコンディション調整もあって、同年9月4日の対ロッテでは12年連続となる50試合登板を達成、9月12日の対楽天において自己最多の42ホールドをあげ、この年の最優秀中継ぎ投手賞のタイトルを2連続で獲得。またオールスターで中継ぎ部門のファン投票にて選出。5回に3番手として登板すると2三振を取った。
20年シーズンも新型コロナなどの影響はあったがセットアッパーで投げ続け、同年7月29日の対オリックスにて700試合登板を達成、同年8月12日に350ホールドを達成した。
21年シーズン当初は調子があがらず2軍調整もあったが、同年5月18日の対楽天にて400ホールドを達成。その後は何とか持ち直して50試合連続は達成した。
22年シーズンは50試合登板に達せず2億円ダウンと次年度の契約を結んだ。
23年も中継ぎで登板、同年5月20日の対オリックスにて五十嵐亮太さんを抜く初登板から824試合連続リリーフ登板の記録を塗り替えた。同年11月5日に24年シーズンも引き続き契約する事を発表した。

エピソード

  • 梨田元監督の長男・和利君とは関西学院野球部のチームメイトだった。
  • 関西学院野球部HP内の自身のプロフィールにて、「ニックネーム:宮西尚生様」、「性格を一言で:テポドン」、「イチオシ選手:おれ」等迷言を残す(参考HP)。
  • 阪神から「虎の恋人」と言われつつ結局阪神はなぜか獲得しなかった。
  • ローカル番組どぉーだ!内の選手指導コーナーにて、遠藤麗奈アナに失恋の痛手を掘り下げられる。
  • 東京ドームでの初登板の時に何故かマウンドで足を滑らせ転倒。ボークを取られ、三塁ランナー生還。
  • FFFFF fifteen voiceやトークショーでは「テポドン」とはうって変わって慎重な発言を心がける様がたびたび見られる。成長したのか?
  • 愛用の香水はチョコラバーズ。ファンからのプレゼントらしい。ファンレターに返信するマメな一面も(最近は量が多くて返信しきれないらしい)。
  • おしゃれだがちょっとチャラいルックスでチーム内でのあだ名は「チャラ男」…であったが、09年長めの茶髪から短髪黒髪にイメージチェンジ。「チャラ男はもう卒業」とのこと。
  • ちなみに「チャラ男」命名者は紺田
  • 最近頭髪が心配されている。
  • 意外?と絵が上手いことが八木ブログで発覚。
  • その八木とは仲良し、いじるの大好き。ブログに恥ずかしい姿載せたり、先輩を先輩と思わない姿。
  • 一時期ブログ代わりにmixi日記を全体公開していた。
  • 2010春キャンプ中、自室に大人のビデオを大量に散乱させていたところを留守中ひちょりアグーに発見される。
  • ツイッター狂いのダルにツイッターに勧誘されるが断固拒否。
  • ジャッキー佐藤@ビューティ・ペアに激似。
  • ウイニングボールをケッペルに、初セーブボールを増井にあげちゃうぐう聖。
  • 建山紺田ひちょり移籍の際ブログに綴ったことばでハム専民を切ない気持ちにさせる。
  • 11年11月に結婚した
  • 名護のウエイトルームの鏡を割ったとインチキおっさんバラされる
  • 救援失敗が続き不調の2011年序盤、自ら作ったピンチを抑えベンチに戻るとナミダがじわり…がカメラに抜かれ、ニュースやトーク番組にこれでもかというほど取り上げられる。
    • なお、本人はなぜ泣いたかわけがわからないとのこと
  • 12年7月にはパパになった。
  • 12年リーグ優勝が決まった公開記者会見で、インタビュアーに「なかにし」と名前を間違えられる。
  • 15年初の今日ドキッ(HBC)において新コーナーが誕生する(「キャプテン宮西尚生の抑えてナンボ」、不定期)。
  • 15年春季キャンプにおいて大谷の髪をカットすることになるも途中でバリカンのバッテリーの電池が切れ、なおかつハサミがないので眉毛切りでカットすることに。それにもかかわらず出来栄えは95点を貰えたようだ。
  • 15年選手会納会。登別に前日入りした際に同室だった鍵谷が体調不良を起こすと、フロントに体温計を取りに行ったり薬を調達しようとしたりで鍵谷に「3年間で一番優しかった」とイチオシで言われていた。
  • FFFFFやイチオシで後輩に対する態度、そのやり口、仕打ちなどが暴露される。鍵谷加藤玉井西村などロッカーが近かったり宮西に気に入られたりした投手からの被害報告が多い。通称、ブルペン、投手陣のジャイアン。
  • 武田勝とは、2019年のイチオシの年始企画、新春座談会にサプライズで乱入したり彼が石川ミリオンスターズからファイターズに帰ってくる時はFFFFFで共演したりとメディア露出が多い。
  • 浦野「玉井や西村をストレスのはけ口にしている。」宮西の言い訳は「玉井は自分の非を認めたがらない。西村はおもろいから。愛のあるいじり。」ちなみにこの2人は納会ゴルフでも「今日は上手に接待出来るように頑張ります。」と宮西の接待にまわっていた。
  • なぜかロドリゲスからシショウ(師匠)と呼ばれている模様。
  • ダルにTwitterやYouTubeで度々ネタにされている。「宮西さんは最先端技術に弱い」
  • 金子とはベテラン同士で、子供同士も仲がいい。
  • 22年の春季キャンプで一度オープナーとして投げる予定(vs中日)が雨野に。同年3月6日のオープン戦vs巨人にてプロ入り初先発登板を果たした。

宮西尚生オフィシャルブログ
「勇往邁進」

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最終更新:2023年11月05日 16:30