ブランドン・レアード

1987年9月11日 米カリフォルニア州サイプレス生まれ。
本名はブランドン・J・レアード(Brandon J. Laird)。
185cm、98kg。右投右打。
05年にクリーブランド・インディアンスよりドラフト指名も拒否、
07年にヤンキースよりドラフト27巡目で指名。


11年7月22日にホームのヤンキー・スタジアムでメジャーデビュー。
12年9月にヒューストン・アストロズへ移籍も13年10月にFA。
その後カンザスシティ・ロイヤルズ(マイナー)→ワシントン・ナショナルズ(トレード)と経て
14年11月18日に契約合意が発表された。

3年間のメジャー通算では53試合出場、打率.197、6本塁打、16打点も
3Aで130試合に出場、打率.300、18本塁打、85打点。長打率.490をマークしてレギュラーを張り、安定感を増した。

1年目の2015年、前半戦しばらくは打率1割台まで落ち込む低迷っぷり。「2軍に落とせ」だの「前半戦限りでクビ」だのさんざんな言われようだった。
ところが後半戦、日本の野球に対応出来てきたのか、驚異の巻き返しを見せる。本塁打の数も翔さんをあっさり抜いてしまう。
同点打や勝ち越し打、逆転打などいわゆる「殊勲打」が多い。殊勲本塁打に至っては12球団トップ。
その結果、来季の契約更新と相成った。
16年シーズンは前年と比べると日本の野球に慣れたのか状態もよく、5月は本塁打・得点・塁打・長打率がリーグトップ、打点が3位の好成績を残し、
自身初の月間MVPを獲得、スカパーサヨナラ賞も2か月連続(6-7月)受賞。同年10月2日に新たに2年契約を締結、自身初の本塁打王のタイトルも獲得、その年のベストナインも受賞。
17年シーズン、8月16日の対ロッテにて来日通算100号ホームランを達成(後述)。
同年のオールスターに選出されるも結果を残せなかった(1試合目は途中出場で1-0、2試合目はサードスタメンも3三振)。同年ホームラン王も、と期待されていたが親族の事情で帰国となった。
18年も26本のホームランを放ったものの同年12月に自由契約、交渉を続けていたものの交渉が打ち切りとなった

エピソード

  • ジェラルド・レアード(前アトランタ・ブレーブス)捕手は兄。その兄とはNBAの試合観戦中に乱闘騒ぎを起こして警察沙汰になったことがある。
  • 春季キャンプの時により金太郎(キンちゃん)というニックネームを付けられる。
  • 15年4月8日の東京ドームでの試合開始前に、ハンデキャップのある少年から花束を頂き奮闘すると言うぐう聖っぷり。
  • 豪快なスイングで西武の炭谷捕手の後頭部にバットを当てた際、うずくまる炭谷に心配そうな様子で見守る一面も。西武のコーチから離れるように促されるまで気遣うぐう聖。
  • 15年8月16日の楽天戦、三塁付近で勢い余って転倒した楽天・ペーニャにも手を差し伸べて起こしてあげた上、打者の北川のプロ初安打ボールを苫篠コーチがもらいにくると、いいよいいよとあげてしまう人柄の良さも。
  • ホームランを打った時にやる寿司を握るポーズは札幌の寿司屋(白井コーチの知り合い)に行ったときにそこの大将からやってほしいと言われたのがきっかけ。
  • シーズン後半には白井コーチが寿司を握るサインを送られるようになってしまった。どうやらホームラン打てのサインのようだ。
  • HTBのイチオシモーニングでインタビューの際に日本の食べ物でどうしてもだめなものはという質問について「おでん」と回答。お湯の中に具材がつかっているのがだめなようだ。
  • 母親がメキシコ人ということもあり2017WBCメキシコ代表に選出されていた。
  • 夫人のラナさんはTBS系「プロ野球選手の妻たち」で紹介される。その夫人から「100号は札幌で」と言われ、札幌で達成してしまう。

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最終更新:2018年12月21日 22:58