淺間大基

1996年6月21日生まれ。東京都出身。
読み方は「あさま だいき」、淺間は旧字体の為スポーツ紙などでは「浅間」表記もあり。
2014年ドラフト3巡目で指名。

15年5月5日に負傷したと入れ替わりでプロ入り初1軍(高卒ルーキーでは全球団一番乗り)、
2番センターで早速スタメン+初ヒット・初得点、初盗塁を決め、お立ち台にも立った。一時は2軍で再調整もあったが同年9月13日に再昇格。9月23日の対ソフトバンクでプロ入り初のサヨナラ安打を放った。またこの年に高卒新人として4試合連続安打という記録も作る(3年後に清宮に破られるまでは赤田と共に最多記録だった)。
16年春季キャンプではアリゾナ1軍組であったが途中で腰痛で離脱(後に腰椎分離症と判明)、4月6日のファーム戦で試合に復帰。
のけがなどもあり4月29日に1軍に昇格、5月1日の対ロッテで5打数3安打の猛打賞、5月3日の対ソフトバンクではプロ入り第1号を放った(相手投手バンデンハーク)。
17年春季キャンプでもアリゾナ組だったが再度腰痛を発症して国頭組に。
しばらく下でも試合に出場できなかったが4月中旬より復帰、同年5月2日に昇格を果たすと対ロッテでいきなりスタメン、結果を出すも抹消→昇格→抹消で同年6月30日を最後に1軍から遠ざかった(19試合のみ出場)。同年11月1日に腰部椎間板ヘルニア内視鏡手術PED法を受けることとなった。
18年春季キャンプは国頭でスタート。リハビリを経てファームで試合に出場できるようになり同年7月29日に初昇格で対オリックスで6番レフトスタメン出場、9回にヒットを放った。またこの年のシーズンオフより三塁の練習を始めた。
19年春季キャンプは久々のアリゾナ組、オープン戦で実績を積み自身初の開幕1軍を勝ち取るも同年4月15日に登録抹消、2軍で試合に出ていたが右すねに自打球を足に受けて骨挫傷と診断、長期離脱を余儀なくされる。8月下旬に復帰後調子を徐々に上げ、同年9月7日に久々に1軍昇格、翌日の8日に1番サードでスタメン復帰を果たして巻き返すかと思った矢先、9月12日の対楽天の試合中の守備で違和感を訴える。14日に札幌市の病院での精密検査の結果、右肘回内筋肉離れ(1度)を発症、そのままシーズンを終える。
20年1月13日に自主トレ先の鹿児島で転倒、16日に左第3中手骨剥離骨折と診断(春季キャンプには参加可能)。
22年シーズンはBIGBOSS体制で試合にも出場していたものの、同年8月に右足関節骨棘骨折および外傷性滑膜炎と診断されて同年9月1日に右足関節内遊離体および外傷性滑膜炎に対する遊離体摘出と滑膜切除の手術を受けたと発表(全治3か月)。そんな最中の同年12月21日に高校の先輩でもあるこんすけが背負っていた背番号8への変更が発表された。
23年春季キャンプも順調に過ごしていたが同年2月26日のオープン戦(対阪神)にて1回の守備中に左足を負傷、途中交代。診断の結果左足関節内踝骨折で手術することが発表(試合復帰まで全治3か月)、リハビリ等を経て同年6月30日にようやく1軍に昇格、同年7月2日の対オリックスにて逆転打を放ちお立ち台にも立った(後述)。

エピソード

  • 小学生時代は軟式野球、中学時代はシニアに所属して投手兼外野手として3年の春夏ベスト8、日本代表でU-16世界選手権にも出場、4番として2発を放つ。(この時立田もチームメイトだった)
  • 高校は横浜高校に進学、1年春よりベンチ入り。2年の夏には甲子園出場を経験、現・楽天の松井裕より本塁打を放つ。
  • 182cm72kg、野球センスに優れた外野手。
  • 高3の時に選出されたU-18アジア野球選手権のレセプションにおいてハイキングウォーキングのネタを披露。結果は2つ目くらいでゲップしたものの、やや受けだったらしい。
  • 新人選手研修会の講義中において爆睡中の佐藤正を見つけ、つついて起こしていた。
  • 23年7月2日の対オリックスでのお立ち台にて。移籍後のプロ入り初お立ち台だった郡司が両手でマイクを握っていたのを受け、自身もマイクを両方の手で持っていた。

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最終更新:2023年07月02日 19:54