大谷翔平

1994年7月5日生まれ。岩手県出身
2012年にドラフト1巡目指名。

菊池雄星に憧れて花巻東高校へ進学。
1年夏までは野手として起用して、ゆっくり成長の階段を昇らせるという方針で当初はライトであったが、秋から投手として活躍。
最速147km/hを記録し、2年春には最速151km/h、夏の甲子園では150km/h、3年夏の県大会では驚きの160km/hを記録。
高校通算56本塁打、世界野球選手権では全日本の4番を務めるなど打者としての評価も高い。
10月には一度メジャー行きを表明するも、その後の交渉において日本ハム入団を決意、12月9日に正式発表、25日に入団会見。

13年キャンプ終盤で名護(1軍)に合流、2月17日紅白戦で実戦初打席初安打デビュー。(投手谷元)
2月23日に阪神(オープン)戦で対外試合デビュー(初打席はピッチャーゴロゲッツー)。2月26日のvs広島(練習試合)で対外試合初ヒットを放ち、なおかつ初得点もあげる(ホフさんの犠牲フライ)。

一方投げる方では13年3月10日のヤクルト(教育リーグ)戦で実戦初登板、6回2番手で2回1安打,2奪三振,無失点だった。
二刀流としては同年3月21日vs楽天(オープン戦)8回表に登板、最速157km/hの直球を投げて1安打,2三振、その裏には打席にも立つ(ファーストゴロ)。9回表にライトで守備についた。
13年開幕メンバーに名前を連ね、同年3月29日の西武戦(開幕ゲーム)に8番ライトで先発出場、打点もあげる。
その一方で同年4月11日のロッテ戦(2軍/QVCマリン)でプロ初先発も4回69球、5安打,2奪三振,3四球,3失点でプロ初黒星だった。
満を持して同年5月23日のヤクルト戦で本拠地先発デビュー、5回を投げ2失点も勝ち負けつかずだった(86球,6被安打,2奪三振,3与四死球)。
2回目の先発となった6月1日中日戦でプロ初勝利を飾った(5回3失点)。
投手と野手の二刀流デビューは6月18日の広島戦(ビジター)で、投げる方は4回3失点で勝ち負けつかず、打つ方は5回裏からライトの守備についた(守備は8回まで、3打数1安打1四球)。
そしてこの年のオールスターで外野手部門においてファン投票3位で選出され(1位はオリックスの糸井、2位は翔さんであった)、
3試合に出場し、1試合目は2刀流(投手:2安打1三振無失点、野手:レフト、無安打)、2試合目は野手でライト→レフトの出場で1安打、
3試合目は途中出場で1安打(同点となるタイムリー)。同時に敢闘賞とスカイアクティブ賞を獲得する。
13年シーズンは投げる方で13試合3勝で防御率4.23、打つ方では77試合.238、3本塁打/打点20で終えた。
14年5月13日のvs西武戦にて初完投を達成、しかも完封のおまけつき。6月4日には自己最速160km/hを計測(広島戦)すると、8月3日にはそれを塗り替える161km/hを更新(ソフトバンク戦)。
打つ方では9月7日に10本目のホームランを放ち(オリックス戦)、NPB初の10勝+10本塁打を達成(結果は24試合11勝4敗防御率2.61/87試合.274、10本塁打/打点31)。投打両方が評価されて2年目で1億円プレーヤーの仲間入りを果たした。
また、この年の侍ジャパンに投手として選出。投手での起用で第1戦では中継ぎで出場、1イニングを3凡。第5試合では先発として出場し、4回を6安打2失点(自責0)も3者連続三振やMAX160㌔も出た侍ジャパンデビューであった。14年契約更改では1億円プレイヤーとなる。
15年シーズンは開幕投手。この年のオールスターのファン投票の投手(先発)部門で選出。公式戦では最優秀防御率・最多勝・勝率1位の三冠を達成。
同年シーズン終了後に2015年プロ野球最優秀バッテリー賞を大野で受賞、11月開催のプレミアム12のメンバーにも選出、ベストナインにも選出される。
この年の好成績でダル以来の2億円プレーヤーの仲間入りをした。
16年シーズンも開幕投手に指名されるもなかなか勝ち星がつかずで、ようやく5月1日に1勝目をあげた。7月10日の対ロッテにて指のまめをつぶし、しばらく先発から離れる。
9月に先発復帰、同月13日の対オリックスにてMAX164㌔を計測した。9月28日(対西武)は優勝のかかった試合であったが1安打15奪三振で優勝に貢献した。17年は春季キャンプにおいて右足首に違和感(骨棘)がありWBC代表を辞退。打者では(後述)復帰したのものの投手としての復帰は7月1日のファーム戦(対西武)となるも1回のみ登板。1軍登板は同年7月12日の対オリックス戦であったが、1回1/3回の4失点で降板する。
一方打つ方はといえば序盤は好調で、特に5月に入ると4日の対ソフトバンクより連続ホームランの記録を達成する
(5試合連続\球団では6本連続の大杉さん以来、5本連続ではソレイタ以来)。同年5月29日には指名打者制採用以降初の6番ピッチャーとして先発、
5打席立ち3安打で猛打賞、タイムリーも放つ。また同年6月5日の対巨人で日本人最速の163キロを記録(4回1死満塁)、ところが同年10月16日のCSでのvsソフトバンクにおいて
9回表にDH解除でリリーフ登板、その際に165キロを投球して記録を更新してしまう。
16年シーズン当初はなかなか波に乗れなかったが徐々に調子をあげていく。7月にマメをつぶしてしばらく打者として出場、9月に先発として復帰した(規定に足らず)。日本シリーズでは投手としては勝てなかったものの、打者として活躍した。同年のベストナインでは史上初の投手と指名打者の両方で受賞、パリーグのMVPも獲得した。
同年のオールスターにファン投票で先発投手部門のトップを獲得するも、アクシデントで打者として出場、2試合目(@横浜スタジアム)で4打数3安打(うち1本塁打)2打点でMVPを獲得、またホームラン競争にノミネート、1日目で計9本を放ち優勝した。
WBCに選出されていたもののキャンプ前に右足首を痛めた(有痛性三角骨障害)為に辞退、開幕に野手として何とか出場できたものの、同年4月8日の対オリックスにて走塁中に左足に違和感を覚え交替、左大腿二頭筋肉離れ2度と診断されて翌日登録抹消、その翌日にはインフルエンザB型に罹患と診断された。その後はファームでリハビリに励む日々。同年6月23日にチーム事情など(近藤の長期離脱)もあり1軍昇格、同年6月27日の対ソフトバンクで試合後半に代打で出場(結果は三振)、翌日の28日に代打で登場すると復帰後初タイムリーを放つ。投手としては同年7月12にちの対オリックスで登板、2回持たず敗戦投手。その後2試合を経て同年10月4日の対オリックスで4番ピッチャー(2リーグ制になり初めて)として打席にも立ち1本ヒットを放ち、投手としては9回完封勝利をあげた。同年シーズン終了後に上記の右足首の骨棘の除去手術を受けた。代理人が決まったと報道されて事実上大リーグ移籍が決まったが、同年11月11日の11時に正式にポスティングシステムを利用しての大リーグへ移籍することを発表、書類審査→7球団に絞り込まれた面談を経て、同年12月9日早朝(日本時間)にロサンゼルス・エンゼルスと契約合意、同年12月25日に札幌ドームでお別れ会見が行われた。
この年はアクシデントもあった中でオールスターではDH部門でトップ票を獲得、1試合目は3番指名打者で登場、1三振を含む2打席凡退、2試合目は7回裏に代打で登場も特大のレフトフライ。

投手としては、最速165km/h(公式戦では164km/h)のストレート、キレ味抜群のスライダー、そして150km/h超のフォークが武器。カーブやチェンジアップも習得はしているが、あまり投げていない。
打者としては、内角を得意とし、外角低めをやや弱点としている傾向。よく「投手だから気を遣って内角を攻められない」という事を言われていたが、甘く入ると器用に長打にしてしまう。ルーキーイヤーは左投手を苦手としていたが、2年目以降はあっさり克服した模様。
見捨てられがちではあるが、走者としても俊足なため、内野安打も狙えて盗塁も試みる。そして外野へヒットを放つと、相手の返球具合を見て一気に次の塁を狙う積極性が魅力。通常ならシングルヒットでも、「レフト前二塁打」や「センター前二塁打」にしてしまう事も。

エピソード

  • 社会人野球の選手だった父とバドミントン選手の母、兄は社会人野球選手、姉は中学高校とバレーボール部とまさにスポーツ一家で育った。
  • 小学校時代はブラスバンドでトランペットを担当していたそうだ。
  • 中学校時代は野球部と陸上部とどちらに所属するか迷ったらしい。
  • 高校2年の夏に甲子園デビュー(1回戦・対帝京の4回途中)。その第1球を放った相手が松本だった。
  • 入団会見後での札ドでは投手・打者両方を披露する。
  • 3年夏の時点で身長193cm、入団時の身体検査では195cm。父・徹さん曰く、まだ身長が伸び続けてるとか……
  • 専属広報がつくこととなり、お兄さんの独立リーグ時代の同僚だった青木走野さんがなることとなった。
  • ポップコーンが好きで森本達が買ってきてくれて喜んでいた。
  • 13年2月17日紅白戦で実戦初打席初安打デビュー時、「ブルペン入りした大谷投手、紅白戦で初ヒット」という、わけが分からない事態に。
  • 4月1日報ステにて打席内で関東チャンテを口ずさんでるところを抜かれる。しかも9回もリピート。
  • プロ初勝利でお立ち台に上がり、商品のビール1年分をゲット。未成年(ry
  • ちび谷先輩プロ初セーブ記念のウィニングボールをあやうく客席に投げ込みそうになるも何とかセーフ。
  • 国頭秋季キャンプでセガマサのいるところにおいて。佑ちゃんのWさいとうinホテルのテラス席、翌日きゅんとランチをしているところに、連日なぜか乱入していたらしい。
  • 花巻東高校時代の後輩が入団するにあたって「(関係者や先輩には)とにかくあいさつを」というアドバイスを贈ったそうだ。
  • うわっち先輩に対して「さすが最強Pっすねー」と発言したりまっすー先輩に対し「スイさん」と呼んだりしているらしい。
  • 15年春季キャンプにおいて髪の毛が伸び、なかなかカットに行けずにキャプテンに依頼。いろいろアクシデントがあったらしいが出来栄えには満足しているようだった。
  • 16年侍ジャパン強化試合において(vsオランダ@東京ドーム)、大飛球を飛ばしてそれが天井部分に入り込み特別ルールで認定ツーベースとなり、スポーツ紙1面を飾った。なお、その前日には右中間上段への特大ホームランも放っている。
  • お別れ会見の時の最初のあいさつに英語で自己紹介をしていた。

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最終更新:2017年12月25日 21:22