一方投げる方では13年3月10日のヤクルト(教育リーグ)戦で実戦初登板、6回2番手で2回1安打,2奪三振,無失点だった。
二刀流としては同年3月21日vs楽天(オープン戦)8回表に登板、最速157km/hの直球を投げて1安打,2三振、その裏には打席にも立つ(ファーストゴロ)。9回表にライトで守備についた。
13年開幕メンバーに名前を連ね、同年3月29日の西武戦(開幕ゲーム)に8番ライトで先発出場、打点もあげる。
その一方で同年4月11日のロッテ戦(2軍/QVCマリン)でプロ初先発も4回69球、5安打,2奪三振,3四球,3失点でプロ初黒星だった。
満を持して同年5月23日のヤクルト戦で本拠地先発デビュー、5回を投げ2失点も勝ち負けつかずだった(86球,6被安打,2奪三振,3与四死球)。
2回目の先発となった6月1日中日戦でプロ初勝利を飾った(5回3失点)。
投手と野手の二刀流デビューは6月18日の広島戦(ビジター)で、投げる方は4回3失点で勝ち負けつかず、打つ方は5回裏からライトの守備についた(守備は8回まで、3打数1安打1四球)。
そしてこの年のオールスターで外野手部門においてファン投票3位で選出され(1位はオリックスの
糸井、2位は
翔さんであった)、
3試合に出場し、1試合目は2刀流(投手:2安打1三振無失点、野手:レフト、無安打)、2試合目は野手でライト→レフトの出場で1安打、
3試合目は途中出場で1安打(同点となるタイムリー)。同時に敢闘賞とスカイアクティブ賞を獲得する。
13年シーズンは投げる方で13試合3勝で防御率4.23、打つ方では77試合.238、3本塁打/打点20で終えた。
14年5月13日のvs西武戦にて初完投を達成、しかも完封のおまけつき。6月4日には自己最速160km/hを計測(広島戦)すると、8月3日にはそれを塗り替える161km/hを更新(ソフトバンク戦)。
打つ方では9月7日に10本目のホームランを放ち(オリックス戦)、NPB初の10勝+10本塁打を達成(結果は24試合11勝4敗防御率2.61/87試合.274、10本塁打/打点31)。投打両方が評価されて2年目で1億円プレーヤーの仲間入りを果たした。
また、この年の侍ジャパンに投手として選出。投手での起用で第1戦では中継ぎで出場、1イニングを3凡。第5試合では先発として出場し、4回を6安打2失点(自責0)も3者連続三振やMAX160㌔も出た侍ジャパンデビューであった。14年契約更改では1億円プレイヤーとなる。
15年シーズンは開幕投手。この年のオールスターのファン投票の投手(先発)部門で選出。公式戦では最優秀防御率・最多勝・勝率1位の三冠を達成。
同年シーズン終了後に2015年プロ野球最優秀バッテリー賞を
大野で受賞、11月開催のプレミアム12のメンバーにも選出、ベストナインにも選出される。
この年の好成績で
ダル以来の2億円プレーヤーの仲間入りをした。
16年シーズンも開幕投手に指名されるもなかなか勝ち星がつかずで、ようやく5月1日に1勝目をあげた。7月10日の対ロッテにて指のまめをつぶし、しばらく先発から離れる。
9月に先発復帰、同月13日の対オリックスにてMAX164㌔を計測した。9月28日(対西武)は優勝のかかった試合であったが1安打15奪三振で優勝に貢献した。17年は春季キャンプにおいて右足首に違和感(骨棘)がありWBC代表を辞退。打者では(後述)復帰したのものの投手としての復帰は7月1日のファーム戦(対西武)となるも1回のみ登板。1軍登板は同年7月12日の対オリックス戦であったが、1回1/3回の4失点で降板する。
一方打つ方はといえば序盤は好調で、特に5月に入ると4日の対ソフトバンクより連続ホームランの記録を達成する
(5試合連続\球団では6本連続の大杉さん以来、5本連続ではソレイタ以来)。同年5月29日には指名打者制採用以降初の6番ピッチャーとして先発、
5打席立ち3安打で猛打賞、タイムリーも放つ。また同年6月5日の対巨人で日本人最速の163キロを記録(4回1死満塁)、ところが同年10月16日のCSでのvsソフトバンクにおいて
9回表にDH解除でリリーフ登板、その際に165キロを投球して記録を更新してしまう。
16年シーズン当初はなかなか波に乗れなかったが徐々に調子をあげていく。7月にマメをつぶしてしばらく打者として出場、9月に先発として復帰した(規定に足らず)。日本シリーズでは投手としては勝てなかったものの、打者として活躍した。同年のベストナインでは史上初の投手と指名打者の両方で受賞、パリーグのMVPも獲得した。
同年のオールスターにファン投票で先発投手部門のトップを獲得するも、アクシデントで打者として出場、2試合目(@横浜スタジアム)で4打数3安打(うち1本塁打)2打点でMVPを獲得、またホームラン競争にノミネート、1日目で計9本を放ち優勝した。
WBCに選出されていたもののキャンプ前に右足首を痛めた(有痛性三角骨障害)為に辞退、開幕に野手として何とか出場できたものの、同年4月8日の対オリックスにて走塁中に左足に違和感を覚え交替、左大腿二頭筋肉離れ2度と診断されて翌日登録抹消、その翌日にはインフルエンザB型に罹患と診断された。その後はファームでリハビリに励む日々。同年6月23日にチーム事情など(
近藤の長期離脱)もあり1軍昇格、同年6月27日の対ソフトバンクで試合後半に代打で出場(結果は三振)、翌日の28日に代打で登場すると復帰後初タイムリーを放つ。投手としては同年7月12にちの対オリックスで登板、2回持たず敗戦投手。その後2試合を経て同年10月4日の対オリックスで4番ピッチャー(2リーグ制になり初めて)として打席にも立ち1本ヒットを放ち、投手としては9回完封勝利をあげた。同年シーズン終了後に上記の右足首の骨棘の除去手術を受けた。代理人が決まったと報道されて事実上大リーグ移籍が決まったが、同年11月11日の11時に正式にポスティングシステムを利用しての大リーグへ移籍することを発表、書類審査→7球団に絞り込まれた面談を経て、同年12月9日早朝(日本時間)にロサンゼルス・エンゼルスと契約合意、同年12月25日に札幌ドームでお別れ会見が行われた。
この年はアクシデントもあった中でオールスターではDH部門でトップ票を獲得、1試合目は3番指名打者で登場、1三振を含む2打席凡退、2試合目は7回裏に代打で登場も特大のレフトフライ。
投手としては、最速165km/h(公式戦では164km/h)のストレート、キレ味抜群のスライダー、そして150km/h超のフォークが武器。カーブやチェンジアップも習得はしているが、あまり投げていない。
打者としては、内角を得意とし、外角低めをやや弱点としている傾向。よく「投手だから気を遣って内角を攻められない」という事を言われていたが、甘く入ると器用に長打にしてしまう。ルーキーイヤーは左投手を苦手としていたが、2年目以降はあっさり克服した模様。
見捨てられがちではあるが、走者としても俊足なため、内野安打も狙えて盗塁も試みる。そして外野へヒットを放つと、相手の返球具合を見て一気に次の塁を狙う積極性が魅力。通常ならシングルヒットでも、「レフト前二塁打」や「センター前二塁打」にしてしまう事も。