栗山英樹

1961年4月26日生まれ。独身
1984年にドラフト外でヤクルトへ入団、
1990年に故障や病などの再発の不安から引退。

小学校の頃軟式野球を始め、中学ではいったん野球から離れバレーボール部に所属(セッター)。
その後地元の硬式野球クラブで投手として活躍、日米野球にも出場、大会MVPを獲得する。
高校ではエースとなるものの甲子園に縁遠く、東京学芸大学では投手として活躍するもの、
その後は右ひじの故障に悩まされて野手へ転向。
小中高の教員免許を所持しており(ここから熱中先生とのニックネームがつく)卒業後は教員を目指していたが
野球の夢へを捨て切れずにヤクルトの入団テストを受け、合格。
メニエール病や故障に苦しみながらもその中でも猛練習し、その結果、守備範囲の広さを買われて6年目にゴールデングラブ賞を獲得する。
引退後は解説者、大学教授、スポーツキャスターなど幅広くやっていたがその傍ら母校の東京学芸大学の講師に就任して少年野球の普及につとめた。

2011年11月3日、日本ハムの監督就任に2年契約で合意。
2012シーズンは就任1年目で新人監督としては2008年の西武・渡辺久信監督以来17人目のリーグ優勝を果たし、CSも3連勝で日本シリーズへ駒を進めた。

13年シーズンは一転最下位となる。14年シーズンは若手の育成が評価され6月29日に15年も続投することが発表。
16年シーズンは優勝→日本一に導くも、17年シーズンは選手のけが人続出で10連敗を喫したり、最大借金33とチームワーストを記録するなどもあったが、
18年シーズンも引き続き指揮を執り7年目という長期政権となる。同年9月2日の対ロッテにて監督通算500勝を達成、同年10月19日に1年契約で続投が発表、8年目のシーズンに突入することとなった。
19年シーズンは開幕カードの中田のグラスラでスタート、7月には16勝6敗と好調で一時は首位と0.5差まで詰め寄るも8月になると一変、5勝20敗1分と大失速、31日に敗北すると最下位転落。9月に入り何とか5位でシーズンを終え、一時は辞意を漏らすもフロントの慰留により同年10月2日に1年契約での続投を発表。
20年シーズンは新型コロナの影響で開幕が遅れや過密日程などもあり、思うような調整も行かずに結果は2年連続Bクラスとなる5位に低迷であったが、同年11月17日に1年契約で合意を発表。10年目となる長期政権となる。
21年シーズンも4月2日に最下位に転落後、以降一度も浮上しないままシーズン終盤を迎え、同年10月15日に3年連続Bクラスが確定。翌日の10月16日にシーズン終了後の退任が発表。その後は侍ジャパン監督になったが同年12月20日に22シーズンより"教授"を意味するプロフェッサー職に就任することが発表。
23年春のWBCにて日本を優勝に導きその後退任、同年12月26日に、24年1月1日付でチーフ・ベースボール・オフィサー(Chief Baseball Officer、略称CBO/後述)に就任すると発表した。

監督として

選手がヒットを打ったり、送りバントを決めただけでも、わざわざ一人でベンチを出て出迎えにいく。なかなか今まで見られなかった光景だけに新鮮である。
また、プレー中に選手がアクシデントで倒れ込んだ際にも、自ら駆け足で選手の元へ。センターの陽の時はバックスクリーン前まで行く事も。

泣き虫監督であり、中田が開幕から25打席目で初安打初HR、シーズン終盤の増井のヒロインなどその他いろいろな場面で目を潤ませる。
12年リーグ優勝時の公開記者会見では、鶴岡が喋っている間にウルウル泣きそうな顔が映され、場内が笑いが起こって慌てて笑顔を作る。
チームが敗戦しても選手を責めることなく、常に「俺が悪い」「監督がヘボ」など、自分で責任を負うコメントを出す。

2014年頃から(もっと前から?)、ホームでの勝利後に、フィールドシートのファン一人一人にサインや握手、写真などに応じて回っている。

エピソード

  • 選手の評は「熱い」「近い」
  • 国立大学出身者としてはプロ野球史上初の監督となった
  • 帽子裏の「3」は長嶋茂雄さんに書いてもらった
  • 背番号80の由来は三原脩(ハム球団社長兼代表)への憧れから
  • 東京学芸大学の教育関係者と送りバントについて研究したことがあるらしい
  • 2009年には高野連からアマ資格を持たない元プロ選手として初めて高校球児の直接取材が特例で許可された。
  • 2009~11年に「熱闘甲子園」のフィールドキャスターとして高校球児に取材してきた。その為か甲子園に特別な思いを抱いているようだ。
  • 2000~03年までNHKで「新・男の食彩」の司会をやっていたこともあり、ピエンローが得意だそう。(@アリオ食育トークショー)
  • 2012年、公式戦において開幕より翔さんを4番で使い続けて24打席連続で結果が出ず、25打席目で初安打がホームランを打った際に目の奥に光るものが…「泣いてなんかないです。」
  • 開幕戦は野球好きの父親の命日でもあり、実は試合後誰もいないところで大泣きしたと本人談
  • 実はHTBの野球中継でも解説をしていたことがあったようだ(その時の実況はT口くん
  • 栗の樹ファームで2匹の北海道犬(ゲンとジョー)を飼っている
  • 第25回小学館DIMEトレンド大賞の「話題の人物賞」を受賞する。(ももいろクローバーZと共に)
  • 12年ファンフェス終了後にDEナイトが待機していた場所に突然現れ、自らインタビューを受けに行っていた。
  • 12年ドラ1指名の大谷に挨拶に行った際には大谷の在籍校のカラーである紫色のもの(メガネ・下着)を着用して臨み、記者に下着を見せていたらしい。
  • 栗山町での単独パレードの直前のセレモニーでも目に光るものが(ry
  • 13年球団の仕事始めでの会見にて大谷に関して「食べちゃいたいくらいかわいい」と発言する。
  • 13年2月、母校の東京学芸大学より東京学芸大学栄誉賞を授与される。大学の発展に貢献した学外の個人・団体に授与の為創設された賞で第1号となった。
  • 18年の「熱闘甲子園」で甲子園100回記念として久々に長嶋三奈と共に1日限定でキャスター復帰した。
  • 8年目の政権となると大沢親分と並んで長期政権となる(当時)。
  • 21年の自身の誕生日には特製の赤色ユニフォームにて選手からお祝いされていてウルウル
  • 役職のCBOとは球団の基盤強化・発展とチームの編成強化を推進するために新設されたポストで、球団運営とチーム編成の役割を担うものである。

栗山語録

  • 「でしょお?公康ゥ」
  • 「北海道が、一番になりました!」
  • 「ファンの皆さん、いや、家族の皆さん…!」
  • 「僕は北海道と結婚したんです!」

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最終更新:2023年12月27日 15:21