西川遥輝

1992年04月16日生まれ 和歌山県出身
2010年、ドラフト2位で智弁和歌山高からハムに入団。

俊足強肩の外野手。ファイターズ初の盗塁王をめざしている。野球センスには定評があり、金子の低くて厚い壁を越えるためハムでは内野手登録。
2012年ついに1軍初出場でドームデビュー。プロ初安打は6月18日DeNA戦、バットに当たっただけの3塁線ボテボテが足で内野安打に。その後すかさず盗塁も決め、足の速さを見せた。
同年6月27日楽天戦でプロ初ムランを放つ。しかも2ラン。
更に8月4日の楽天戦で代打で逆転ヒットを放ち、プロ初のお立ち台に立つ。

2012年シーズン終盤では、怪我をした田中賢介に代わってスタメン出場機会が増加。
主に2番・セカンドでそれなりの活躍をしている。でも守備はまだまだ不安。
13年6月3日の対DeNAの試合で膝を負傷して2軍でリハビリ生活も8月27日に再昇格、1塁も守っていたりする。
14年シーズンは外野を守ることも増え、後半には中島との1番2番の打席順が固定される。初めて規定打席にも到達。ファイターズ初の、とはいかなかったが(13年がファイターズ初の盗塁王受賞)、盗塁数43で自身初の盗塁王に輝いた(複数回の盗塁王獲得は球団史上初)。
15年シーズンよりおっさんのつけていた背番号8に変更となることが発表、序盤は好調だったが後半は自らの守備のミスや打撃不調もあり、
同年9月には2軍落ちも経験する。16年シーズンより背番号が7に変更、城石コーチとの二人三脚もあり終わって見れば3割バッターとなり、日本シリーズ第5戦では逆転の満塁ホームランを放ち優秀賞を獲得、この年のベストナインを獲得する。
17年シーズンより登録を外野手へと変更、守備位置もセンターでほぼ固定。シーズン終盤に死球を受けて試合に出場できなくなるもこの年の最多盗塁(39)のタイトルを獲得、更にゴールデングラブ賞とベストナインも受賞。
同年のオールスターでは近藤の辞退で補充メンバーとはいえ初出場、1戦目は5回裏よりセンターの守備につきホームランを含む2打数2安打で敢闘賞を、2戦目は5回表からレフト(後にライト)の守備につき2打数1安打と結果を残して協賛社特別表彰を受ける(賞金100万円+車)。18年6月1日の対中日に通算200盗塁を達成する(後述)、この年の最多盗塁賞を達成してゴールデングラブ賞を獲得した。
19年春に侍ジャパン日本代表に初選出、第1戦に2番センターとして出場。1四球を選ぶも無安打。またこの年のオールスターでは選手間投票で出場、第1戦目は途中出場でフライアウトとなるも翌日の第2戦では1番センターでスタメン出場して4-3の猛打賞となった(後述)。盗塁数は前年よりも減少したものの、守備ではゴールデングラブ賞を3年連続で獲得、また同年11月27日に移転後10人目となる主将に任命、また同日の契約更改の会見の中で、20年シーズンにポスティングを利用してメジャー挑戦を模索することを話した。
20年シーズン、開幕2戦目(対西武)にて1000本安打を達成、同年7月14日の対ロッテにて通算250盗塁を達成、同年12月3日は公言通りに大リーグへのポスティングシステム申請の手続きを発表。だが期限までにオファーがなくチームに残留することが決定。
21年1月21日に1年契約を発表、引き続きハムの一員として活躍をしていたが同年4月30日に新型コロナ陽性と判定され隔離、同年5月6日に隔離期間が終了、その中で同年5月23日にようやく海外FA権を取得、同年8月27日に通算300盗塁を達成、同年10月30日の対ロッテにて途中出場して盗塁を決め、同率1位の24盗塁となり最多盗塁を達成した。にも拘わらずに同年11月16日にノンテンダーとなり自由契約となり動向が注目されていたが、同年12月25日に楽天入りすることが発表された。

ハルキ天然伝説

  • 目標とする選手は糸井さん。ちなみに背番号も前年まで糸井がつけていた26番。
  • その糸井とは新人合同トレの時に遭遇し、「26番?内野なの?外野やらんの?」と聞かれていた。
  • 智弁和歌山高では1年からレギュラーで活躍していたため、ハルキストと呼ばれる固定ファンもいた。
  • その夏の甲子園では1年の時に右手を、2年の時には左手を骨折しながら出場していた。
  • 目標は? 「ボクガンバリマス」(色紙に直筆。カタカナ)
  • 北海道に行ったらしてみたいことは畑仕事。
  • 生まれ変わったら鳥になりたい
  • 2011年ファーム日本選手権で優秀選手賞受賞。ちなみに賞品は本格芋焼酎。※この時は未成年であった
  • 2012年7月の北海道祭り初日の全体練習の際、練習時には通常用の帽子をかぶるところを試合で使う北海道祭り仕様帽子を着用して登場。周囲から「なに気合入っとんねん」と言われてロッカールームに撤収した。ちなみにコユキコーチも(ry
  • 2012年フレッシュオールスターに同期の谷口きゅんと共に選出され、先発スタメンセカンドで出場するも(ry
  • 12年8月4日の対楽天戦に代打で登場、先輩が声をかけるも「ヒメネス、ヒメネス…」とガチガチに緊張して、ぶつぶつつぶやきながら打席へ向かう。(結果はタイムリー)※この時投げていたのが楽天のヒメネス投手だった
  • しかもその日はプロ初のお立ち台に立ち、インタビュアー(HTB菊地)にアジアンフェスタに絡んでマイクを渡されコメントを求められる。「アジアの“かたの”皆さんこんにちわ、西川遥輝です」26番の系譜が受け継がれた瞬間。
  • オリ戦でウルフがバルディリスに死球を当てて乱闘騒ぎになった時、嬉しそうにニコニコウキウキして騒ぎに参加している姿が中継に抜かれる。
  • 宵越しの金は持たない主義。
  • 4月に20歳になり、楽しみは風呂上がりに飲むビール(350ml×2)であるそうだ。
  • 北海道に来てびっくりしたことは信号機が縦になっていたこと。
  • 色白と言われるが特に対策もしていないようで焼けにくい体質のようだ。焼けたとしても1,2日で冷めるらしい。ちなみにお母さんも色白。
  • 12年パリーグ優勝時のビールかけで
    • なっぱさんに背中からビールをかけられ「パパー冷たいよー」と叫ぶ
    • GAORAレポの宮原あつきに「誰ですか~」と聞かれて「ハルキくんで~す」
  • 12年納会時の宴会にてパパに対してワインを口移しで飲ませていたらしい。
  • 13年シーズン途中にイチオシ!モーニングにおいて「遥輝26on((はるきにろっくおん)」コーナーが誕生した(なお背番号が8になったのに伴い「遥輝style∞(エイト)」に変更となった)。
  • 14年シーズン頭でのトークショーにおいて「ONE PIECE」などのマンガが好きで3,4度読み返すという。あの人とかこの人からのお誘いがありそうな。
  • 日本シリーズの第5戦でのヒロインにて「4万人のファンのみなさん、みんなで広島に行くぞー」と叫ぶ。なおその時既にチケットは(ry
  • 16年シーズン後には翔さん中島と共に「SMAP×SMAP」のビストロSMAPコーナーに出演した。
  • 17年7月1日よりTVHで「週刊ナンバー7~西川遥輝~」という冠番組を持っていた(~18年12月)」。
  • 17年のオールスター第2戦ではロッテのサントス選手の走り打ちの真似を披露した。
  • 18年5月31日の対巨人に盗塁を試みる、ところが巨人の守備陣が無警戒だったということで盗塁が認められず。同年6月1日に盗塁して晴れて達成となった。
  • 19年5月18日の対ソフトバンク@熊本藤崎台において、ソフトバンク牧原の自打球の治療中の合間にソフトバンクファンの女性から差し出された傘をさしていた。「ホークス応援していいけど、俺の打席は俺を応援してね」と話したそう。なお翌日の試合では試合中断中にズボンを脱いだ。
  • 19年のオールスターでは自らポケットに折り畳み傘を忍ばせ、5回裏にヤクルトの東京音頭に合わせてパフォーマンスを行い帰りにはオリックスの吉田正と共に相合傘でベンチへ戻った。8回裏にはその傘にスポンサー様の「マイナビ」と手書きで書いていた。
  • 高校時代にティモンディ高岸と対戦経験あり、21年4月3日に始球式で再度対戦して結果はボール(142㌔は芸能人の中で最高記録)であった。その後高岸に対してエールを送る。 (・~・*) <次はストライクお願いします。

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最終更新:2021年12月26日 19:40