武田久

1978年10月14日生まれ 徳島県出身 B型
2002年ドラフト4位指名。

2006年頃からセットアッパーとして定着し、岡島・MICHEALと勝利の方程式として優勝に貢献した。
2008年はMICHEALの不調などの理由から登板が増え、勤労疲労等を理由に本人の満足のいくような成績は残せなかったが、2009年は新守護神として大活躍、レギュラーシーズン無敗というとんでもない成績でセーブ王となった。
2010年、開幕から不調。救援失敗もあり一時は中継ぎに。
しかし11年キャンプではストレートを磨き、11年シーズンは久が出てくればほぼ勝ちを確信するほどの無双っぷり。37Sでパリーグ最多セーブ。
2012年オールスターでは抑え投手部門でファン投票選出される。9月は登板14試合中11セーブをあげ、リーグ新記録を樹立しチームの月間16勝中12試合で登板し、わずか1失点でセーブをあげた11試合中6試合が3凡という素晴らしい成績で、月間MVPをプロ10年目で初めて受賞する。そして2年連続最多セーブ(32セーブ)のタイトルを獲得。
2012年に国内FA権を取得し去就が注目されたが残留が決まる。
13年7月10日対楽天戦においてプロ11人目となる通算150セーブをあげ、8月22日には500試合出場を果たした。
14年シーズンはわずか9試合の出場にとどまり、15年シーズンに…という思いだったが左膝内側半月板断裂を発症し手術。5月17日のファーム(ヤクルト戦)で復帰。
ところが7月に右膝の痛みが悪化、8月31日に右膝内側半月板修復術を受けて来季への復活を目指すことになった。
16年7月22日に久しぶりに1軍昇格、同年7月27日の対西武にて(9回裏)750日ぶりに1軍登板を果たす。17年春季キャンプは国頭スタートも途中から名護組に。開幕メンバーにも名を連ねるも、同年5月7日に抹消後は2軍で15試合登板。
チームの若返りの方針もあり、同年10月5日付で退団、同年11月26日のファンフェスティバルに登場、退団式の中で古巣(日本通運)の選手兼コーチとなる事を発表。その後日本製鉄東海REXコーチを経て23年10月30日に1軍投手コーチとなる事が発表された。

久男前伝説

  • 太い眉も手伝ってマウンドではおっかない顔をしてるが、普段(特にニヤける時)は低身長と高い声も相まって可愛らしい。
  • ネタスレではダルに事ある毎に「チビッコ」呼ばわりされているが、普段もこの2人は仲が良いようでビジターでの試合前に2人で談笑している姿をよく目撃される。
  • 尚、試合前に走り込んでるのは「前日のビールを抜く為」と専らの噂。(それくらい酒好きらしい)
  • よく食事に誘うのは谷元とか和哉。「ぼくよりちっちゃいこを誘ってるってわけじゃないですよ!(R゚一゚)」
  • 社会人時代は野球の傍ら配送業務もこなし、日通の大エースという異名を持っていた
  • 入団当初はメガネをかけて試合に出ていた。現在はコンタクトに切り替え、メガネピッチャーの座はハッシーに譲った模様 (参考:ルーキーの頃の写真 http://sky.zero.ad.jp/~zaf28331/img/ooyuki2.jpg
  • 2軍時代スランプに陥った時、コーチ達からのさまざまなアドバイス攻めに混乱、コーチに対してキレた(ガンちゃん本より)
  • 2006年のファンフェスティバルのトークショーで、本当の身長は168.4センチだと告白した
  • 2006年11月に旭川市で行われたトークショー(2005年か2006年シーズン中のラジオ番組かも?←トークショーで間違いないです、現地にいたので)で 「公称170センチの野球選手は2センチぐらいはサバを読んでいるはず」と発言する
  • 身重の嫁を日本に置いて優勝旅行に行ってしまった
  • 以前乗っていた車のシートに自分の投球フォームのシルエットの刺繍を施していた
  • ダルビッシュが先発なのにユニフォームを忘れた時の試合にて、ダルに「だらしねぇな、お前」と言って腹パンチを加える
  • ダルに「完投指令」を出し、ダル登板試合にブルペンを空にしたこともある
  • ダルと一緒に出演した優勝特番で、ダルを「選手として素晴らしい・・・人間として?まあまあ」と発言
  • 屋外練習場から帰るときに小学生から「ひさしー!」と呼ばれて 「呼び捨てすんな!」とキレていた 。しかし小学生には聞こえてなくて「ひさしなんて言ってたんだろ」と言われる
  • フェンス直撃三塁打を打ったMr.ファイターズ田中幸雄に対して「幸雄さん、あれはホームランにしなきゃ!」 と恐れ知らずの説教(新聞報道より)
  • 抑えて戻ってきた江尻(年上)に対して「結果オーライじゃダメっすよ!」と説教(江尻ブログより)
  • 江尻がブログ用に「シャメ撮ってもいい?」と訊いたところ「いいよ!撮らなくて!」と言いつつも、 ちゃっかり一人ピースで写る。(参考:ttp://obando.mine.nu/fs/img-box/img20070810203652.jpg )
  • 久格言『できないことを目標にする必要はない。当たり前のことをきちんとするだけで人は変われるんです。』(江尻ブログより)
  • FFFFF「ファッションに無頓着な選手は誰?」に於いて、多田野に「Tシャツがペラペラ」ヤタローに「パンツ(下着)がビロビロ」と言われる。本人は「なんでもええんや!」と言っている模様
  • 08年オフの契約更改に当たり代理人を起用。代理人は「行列が出来る相談所」でおなじみの北村弁護士である
  • 登場曲(Bent Fabric『JUKE BOX』)がカッコイイ。しかし「自分で決めてない、ドームの音響さんに丸投げ」だそうである。マイケルとのコンビが鉄板だった頃は「札幌ドームにJUKE BOXが流れると勝ち決定」みたいな空気であった。
  • ダルに対し、「最後まで投げろや!」「1点差で俺に回すな!! 」ネタスレそのものである。
  • さらに八木に対しても「完投、完投!」とハッパをかける。
  • プロ野球ai2009年7月号インタビューにて、ダルについて「毎回毎回完投するのも可哀想」「ロッカーから荷物がはみ出してくる、でも言えない」などと、恐るべき二枚舌を披露した。
  • 棚ぼた勝利をあげた江尻に対して「浮かれんなよ」と喝を入れる
  • オートレースが大好きで、芝草と一緒に川口オートのトークショーとその日のCS中継に参加した事がある。(参考動画
  • 舎弟的存在ちび谷とは食事によく言ってたりオートレースについてしゃべったりしているらしい。
  • 2009年優勝決定直後の某スポーツ記事に「去年測ったら身長168.5センチだった」と載る
  • 2011年春キャンプ。韓国三星ライオンズとの練習試合でノーノーリレー中、マウンドに向かう八木に「誰もヒット打たれてないの知ってる?」とプレッシャーをかける。
  • 北海道で好きな場所はどこですか、と小学生の男の子に訊かれて「ススキノ」と答える。
  • 社会人日本通運の後輩であるL牧田と、クローザーについて語り合う。寿司屋で
  • 2011年9月29日ソフトバンク戦で通算100セーブを達成。緊張のためかマウンドではオナラが止まらなくなる。
  • 2012年の残留での記者会見で「僕自身も最後までファイターズでと」と発言する。
  • 同級生の勝さんとは「社長」と「おやじ」と呼び合っていたが13年の春季キャンプのときに投手陣からいつの間にか「社長」という呼び名が定着していた。(FFFFFでの「我が強いのはだれ?」企画にて。最多得票で優勝)
  • 勝さん曰く「久は体は小さいけど中身はジャイアン」。ちなみにスネ夫はあの人
  • 2013年シーズンは、一時期WHIPが2を超える(WHIPが防御率を上回った事さえある)ほどの大劇場クローザーに。ハムの結果次第(ロッテ戦)で楽天の優勝が決まる日、楽天ファンの胃までも崩壊寸前の劇場を披露した。

久の17球

07年5月6日のオリックス戦。
1-0の9回にマイケルが作った無死満塁の絶体絶命の大ピンチに登場し、ラロッカ・ローズというその頃ハムに対して猛威を振るった怪物打者二人に、好打者の下山というあまりにも恐ろしい布陣を、17球で料理するという伝説を作り出した。しかし翌日が休刊日だったため道スポの1面を飾ることは出来なかった。

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最終更新:2023年10月30日 20:27