中嶋聡

1969年3月27日生まれ 秋田県出身 A型
捕手。右投げ右打ち。
1986年にドラフト3位で阪急ブレーブス(オリックス・ブレーブス → オリックス・ブルーウェーブ)に入団。

1997年までオリックスに在籍、その年のオフにFA宣言でメジャーを目指すも移籍を断念、
1998年より西武に移籍し、2002年まで在籍する。この年のオフにトレードで横浜ベイスターズに移籍。(2003年)
こうして色々な球団を経て2004年にファイターズへ移籍。

2007年からはバッテリーコーチを兼任している。
ベンチでは既にコーチとしての貫禄たっぷりの姿を見せているが、チーム事情もあり時折選手としても出場する(下記参照)。

相変わらず出場試合数は年数回程度。2012年ホーム最終戦にも出場してスタンドも沸いたが、この年は打席の機会が一度もなく終わる。
2013年は2試合、9月28日のオリックス戦の8回裏に捕手として初出場、10月2日には佑ちゃんとのバッテリーでスタメン出場した。実に3年ぶりの打席に場内も沸いた。
2014年は1試合だけ出場、2015年も引き続き現役を続けることが発表、4月15日に一度出場、その後はコーチに専念していたが
同年10月1日の札幌ドーム公式戦最終日にて現役引退を発表、後日(同年11月2日)に改めて引退会見を行い、GM特別補佐職として16年にアメリカのサンディエゴ・パドレスにてコーチ留学。
18年シーズンより1軍のバッテリー兼作戦コーチとして現場復帰。この年のCS敗退後に自ら退団を申し入れて受理、同年10月19日に退団となった。

現在は、オリックス・バファローズの監督として、パ・リーグ2連覇を達成するなど名将となる。

エピソード

  • 現役最後の阪急戦士であった。阪急最後のホームランを打ったのもこの人。ちなみに昭和最後のホームランでもある。
  • 球界屈指の強肩が魅力でピッチャー並みの速球を投げることも出来る。スピードガンコンテストで140km/hを越える剛球を投げたことも。
  • アマチュア時代は有名であり当時は打力も凄かったため、あの名捕手古田敦也が、中嶋がいるオリックスだけは入りたくないと漏らしたほどである。
  • もっとも有名なエピソードはオリックス時代、遅球で有名な星野伸之のすっぽ抜けスローカーブを素手でキャッチしたことだろう。しかもその時の返球が中嶋の方が速かったと言われている。
    これには両軍ベンチが大爆笑し、星野は素手で取るなよと怒ったと言う。当時は珍プレーでも度々話題となった。
    ちなみに練習試合でも何度か星野の球を素手で取っているらしい。有名なエピソードなので簡単に動画が見つかるだろう。
  • 数々の名投手の球を受けてきた。山田久志、佐藤義則、星野伸之、西口文也、松坂大輔、三浦大輔、ダルビッシュ有など。これで大谷翔平の球を公式試合で受ければ1948年生まれの山田久志と1994年生まれの大谷翔平の球を受けることになり、かなり凄いことになる。
  • あだ名は「サメ」目が細いから、というのが理由。
  • 兼任コーチという立場に戸惑う姿も見られた。「選手である以上(ライバルである)チームの捕手にどこまで教えたらいいのか…」
  • ちなみに学生時代のツルはサメさんに憧れていたようで、そのサメさんとチームメイトになったことに運命を感じているそうだ。
  • 守護神MICHEAL専属の捕手として「抑え捕手」の地位を確立。
  • MICHEALが劇場を起こすのは中嶋が脚本を書いてハラハラさせる展開にしているというのが定説。ここから「先生」と呼ばれている。
  • 一時マイケルが中嶋ではなく他のキャッチャーとも組むようになり、住人は「やっと乳離れできたか?」と安心していたのもつかの間、マイケルの調子が上がらずに結局また専属捕手復活に。
  • 09年はマイケルトレードでさすがに出番はないだろう…という大方の予想を裏切り、大野インフル発症に伴い8月初出場、安定感のあるリードとクオリティの高い脚本で住民を驚かせた。
  • 10年は出場試合数も減り、ツルの抑え捕手起用もあっていよいよ引退かと思われたが、画伯とともに最年長選手として現役続行。また素敵な脚本お願いしますサメ先生。
  • 15年10月1日の公式戦最終日のセレモニーにて「俺を福岡に連れて行け」と発言する(CSファイナルから日本シリーズに行きたいようだ)。


なお、長い間引退せずにコーチ兼任で現役を続けていたのは、日ハム特有の事情があるからである。
日ハムの二軍は千葉県鎌ヶ谷市にあるので、一軍捕手に何かあってもすぐに駆けつけるのが非常に難しい。また、二軍は遠征しやすいように、どうしても関東地方においておく必要がある。その為、何かあった時の為に一軍帯同している中嶋を捕手登録できるようにしているのである。
中嶋本人としては「もう選手としてのコンディションを保つのは厳しいので引退させて欲しい」と言っていたが、上記の事情によりむしろ球団が引退をさせなかったのである。

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最終更新:2022年10月27日 10:49